世界歴史年表

交易の道はどこを通ってきたか

年表で「経済・交易」の分類だけを表示してみてください。地域の行をまたいで、交易路の項目が点々と並びます。陸の道と海の道。どちらが主役かは、時期によって入れ替わります。年表の上で、その交代を追ってみましょう。

港を結ぶところから

前1200年ごろ、西アジアの行にフェニキア人の地中海交易。前814年ごろ、アフリカの行にカルタゴの建設。港を結ぶ形の交易です。前600年ごろのリディアの鋳造貨幣、前550年ごろのアケメネス朝ペルシア、前518年ごろのダレイオス1世の統治機構整備。道を安全に保つ政体と、交易の項目は組みになって現れます。この並びは、このあと何度も繰り返されます。

内陸を横切る

前139年、東アジアの行に張騫の西域派遣。前141年からの前漢・武帝の治世と並びます。500年ごろ、西アジアの行にソグド人の隊商交易。内陸ユーラシアを横切る道を担った人々です。751年のタラス河畔の戦いと製紙法の西伝も、この道の上の出来事でした。1206年のモンゴル帝国期のユーラシア交易網で、この道が最も通りやすくなります。

風を読んで渡る

前100年ごろ、南アジアの行に季節風を利用したインド洋交易。風の向きが半年ごとに変わる性質を使い、往復の時期を読んで航海する方法です。670年ごろにシュリーヴィジャヤ、1025年にチョーラ朝の海上遠征、1400年ごろにマラッカ王国。海峡と港を押さえた勢力が並びます。1000年ごろ、アフリカの行にスワヒリ海岸の交易都市。インド洋は、アフリカ東岸・アラビア・インド・東南アジアを結ぶ一つの海域でした。

砂漠を渡る

700年ごろ、アフリカの行にガーナ王国とサハラ縦断交易。塩と金を運ぶ道です。1100年ごろの大ジンバブエとカネム・ボルヌ、1230年のマリ王国、1464年のソンガイ王国。これらの王国は、どれも交易路の要地にあります。1324年のマリ王国のマンサ・ムーサによるメッカ巡礼は、この交易が蓄えた富が記録に残った例です。

人が掘った道

605年、東アジアの行に大運河の建設。南北を水路で結び、物資を都に集める仕組みです。1241年、ヨーロッパの行にハンザ同盟の形成。北海とバルト海の交易を担った都市の連合でした。交易の道は海と陸だけでなく、人が掘った水路も含みます。

航路が組み替わる

1498年、南アジアの行にヴァスコ・ダ・ガマのカリカット到達。1511年にポルトガルによるマラッカ占領。既存の海の道に、ヨーロッパの船が入ってきます。1571年からのマニラのガレオン貿易で、太平洋を横断する航路が加わりました。1600年のイギリス東インド会社、1602年のオランダ東インド会社。交易の担い手が、商人の集団から会社へ変わっていきます。

人が道を作る

交易の道は、長いあいだ地形に従ってきました。海峡を通り、岬を回り、山を越える。これを人の手で変えたのが19世紀です。1869年、アフリカの行にスエズ運河の開通。地中海とインド洋が直接つながり、喜望峰を回る必要がなくなりました。1498年のヴァスコ・ダ・ガマのカリカット到達から、およそ370年ぶりに航路が引き直されたことになります。1914年のパナマ運河の開通も同じで、南米南端を回る航海が消えました。陸では1825年の蒸気機関車の営業運転のあと、1869年の大陸横断鉄道の開通、1872年の日本の鉄道の開業、1891年のシベリア鉄道の起工。季節風や雪解けを待たずに荷が動くようになります。年表のこの区間で、道は「あるものを使う」から「作るもの」へ変わりました。

道は物だけを運ばない

最後に、同じ道を通ったほかのものを見ておきましょう。629年の玄奘のインド旅行は、仏典を求めて内陸の道を往復した記録です。751年の製紙法の西伝は、技術が道を通った例。1347年のペストの大流行も、交易路と無関係ではありません。年表で交易路の項目を選んだら、同じ時期・同じ地域の「宗教・思想」「科学・技術」「災害・疫病」の項目も表示してみてください。同じ線の上に、別の種類のものが並んでいるのが見えます。

年表を読むときに

交易路の項目は、開始の年を一点で示していますが、どれも長く使われ続けた道です。年表では、道が「できた年」ではなく、記録に現れる時期を置いています。また、交易の日常的な往来は記録に残りにくく、年表に載るのは制度の変更や、大きな出来事に限られます。載っていない時期に道が使われていなかったわけではありません。

この読み物で取り上げた出来事(37件)

年表に収録している項目です。出来事名を押すと、年表のその位置が開きます。補足・背景・帰結・出典は時代別のページに載せています。

年代地域出来事
前1200年〜前800年西アジア・中東フェニキア人の地中海交易
アルファベットの伝播を伴った。
前814年アフリカカルタゴの建設
フェニキア人による植民市。西地中海交易の拠点となった。
前600年西アジア・中東リディアの鋳造貨幣
金銀合金による最古級の刻印貨幣。
前550年〜前330年西アジア・中東アケメネス朝ペルシア
西アジアからエジプト・インダスに及ぶ広域を統治した。
前518年西アジア・中東ダレイオス1世の統治機構整備
州制・王の道・貨幣制度が整えられた。
前141年〜前87年東アジア前漢・武帝の治世
匈奴への遠征と中央集権化が進んだ。
前139年〜前126年東アジア張騫の西域派遣
東西を結ぶ交通路の情報がもたらされた。
前100年南アジア・東南アジア季節風を利用したインド洋交易
ローマとインドを結ぶ海上交易が定期化した。
500年〜800年西アジア・中東ソグド人の隊商交易
サマルカンドを拠点に、中央アジアと中国を結ぶ交易を担った。
605年〜610年東アジア大運河の建設
華北と江南が水運で結ばれ、物資の輸送量が増えた。
629年〜645年東アジア玄奘のインド旅行
経典を持ち帰り漢訳した。旅行記『大唐西域記』を残した。
670年〜1288年南アジア・東南アジアシュリーヴィジャヤ
スマトラを拠点にマラッカ海峡の交易を握った港市国家連合。
700年〜1200年アフリカガーナ王国とサハラ縦断交易
金と岩塩の交換を担い、ムスリム商人が往来した。
751年西アジア・中東製紙法の西伝
タラス河畔の戦いを機にサマルカンドへ伝わったとされる。
751年東アジアタラス河畔の戦い
唐軍がアッバース朝軍に敗れ、中央アジアの勢力図が変わった。
1000年〜1500年アフリカスワヒリ海岸の交易都市
キルワ、モンバサなどがインド洋交易で栄えた。
1025年南アジア・東南アジアチョーラ朝の海上遠征
南インドの王朝がスマトラの港市国家へ遠征した。
1100年〜1450年アフリカ大ジンバブエ
石積みの大規模遺構。インド洋交易と結びついていた。
1100年〜1846年アフリカカネム・ボルヌ
チャド湖周辺の王国。サハラ縦断交易とイスラームの受容で知られる。成立の年代には諸説がある。
1206年〜1368年世界規模モンゴル帝国期のユーラシア交易網
陸路の東西交通が一時的に安定した時期。
1230年〜1600年アフリカマリ王国
ニジェール川流域。金の産出とトンブクトゥの学術で知られる。
1241年ヨーロッパハンザ同盟の形成
北海・バルト海の交易都市が結んだ商業同盟。
1324年アフリカマリ王国のマンサ・ムーサによるメッカ巡礼
西アフリカの金と地中海世界の交易関係を示す記録が残る。
1347年〜1351年ヨーロッパペストの大流行(黒死病)
ユーラシア西部で人口が大幅に減少した。
1400年〜1511年南アジア・東南アジアマラッカ王国
マラッカ海峡の中継貿易で栄え、東南アジアのイスラーム化の拠点となった。
1464年〜1591年アフリカソンガイ王国
マリ王国に代わりニジェール川流域を支配した。
1498年南アジア・東南アジアヴァスコ・ダ・ガマのカリカット到達
ヨーロッパとインドを結ぶ海路が開かれた。
1511年南アジア・東南アジアポルトガルによるマラッカ占領
ヨーロッパ勢力が東南アジアの交易路に拠点を得た。
1571年〜1815年南アジア・東南アジアマニラのガレオン貿易
アメリカ大陸の銀とアジアの絹・陶磁器が太平洋を越えて交換された。
1600年南アジア・東南アジアイギリス東インド会社の設立
アジア交易の独占権を与えられた特許会社。
1602年南アジア・東南アジアオランダ東インド会社の設立
条約締結権と軍事力を持つ会社として設立された。
1825年ヨーロッパ蒸気機関車の営業運転
ストックトン・ダーリントン間で開始された。
1869年南北アメリカ大陸横断鉄道の開通
北米東西の輸送日数が大幅に短縮された。
1869年アフリカスエズ運河の開通
地中海とインド洋を結ぶ航路が短縮された。
1872年日本鉄道の開業
新橋と横浜の間で営業が始まった。以後、幹線の建設が進んだ。
1891年ヨーロッパシベリア鉄道の起工
ロシアが極東への輸送路を建設した。
1914年南北アメリカパナマ運河の開通
合衆国が工事を引き継いで運河を完成させ、南米南端を回る必要がなくなった。