世界歴史年表

中世(500年〜1500年)

ユーラシア各地の王朝とイスラームの成立、海と陸の交易網、そして大陸をまたぐ航海が始まるまで。

年表でこの時代を見る

この区間について

500年から1500年までを扱います。収録は260件で、確定192件、およそ65件、諸説あり3件と、古代より年が特定できる項目が増えます。地域の内訳は日本61件、ヨーロッパ58件、東アジア43件、西アジア・中東34件、アフリカ28件、南アジア・東南アジア17件、南北アメリカ12件、オセアニア6件、世界規模1件です。「中世」という呼び方はヨーロッパ史の時代区分に由来し、他の地域にそのまま当てはまるものではありません。年表では時間の区切りとして使っています。

イスラームの成立と西アジア

610年のイスラームの成立と622年のヒジュラに続き、正統カリフ時代、ウマイヤ朝(661年〜750年)、アッバース朝(750年〜)が収録されています。762年のバグダードの建設、830年ごろの知恵の館、820年ごろのフワーリズミーの数学書、1025年ごろのイブン・シーナー『医学典範』が、この地域の学問に関わる項目です。1258年にバグダードが陥落し、1299年からはオスマン帝国が続きます。

東アジアと南アジア・東南アジア

東アジアでは隋(581年〜618年)、唐(618年〜907年)、宋(960年〜1279年)、元(1271年〜1368年)、明(1368年〜1644年)が並びます。755年からの安史の乱、1069年の王安石の新法、1405年から1433年の鄭和の南海遠征などを収録しています。南アジア・東南アジアではシュリーヴィジャヤ(670年〜1288年)、アンコール朝(802年〜1431年)、デリー・スルターン朝(1206年〜1526年)、マジャパヒト王国、アユタヤ朝が続きます。

ヨーロッパ

800年のカール大帝の戴冠、843年のヴェルダン条約、962年からの神聖ローマ帝国、1066年のノルマン・コンクェストが前半の主な項目です。1096年から1099年の第1回十字軍、1077年のカノッサの屈辱、1215年のマグナ・カルタの承認、1265年のイングランド議会の起源、1088年のボローニャ大学の成立が続きます。1347年から1351年のペストの大流行、1337年から1453年の百年戦争は、この区間の後半に位置します。

アフリカ・アメリカ・オセアニア

アフリカでは700年から1200年のガーナ王国とサハラ縦断交易、909年からのファーティマ朝、1000年から1500年のスワヒリ海岸の交易都市、1100年から1450年の大ジンバブエ、1230年からのマリ王国、1464年からのソンガイ王国を収録しています。アメリカ大陸では500年から900年のティワナク、900年からのマヤ低地の都市の放棄、1428年のアステカ三国同盟、1438年からのインカ帝国の拡大期が並びます。オセアニアでは900年から1300年の東ポリネシアへの拡散、1250年ごろのニュージーランド到達が収録されています。

交易と技術

751年のタラス河畔の戦いの後に製紙法が西へ伝わり、1206年から1368年のモンゴル帝国期にはユーラシアの交易網が結ばれました。1271年から1295年のマルコ・ポーロの旅行、1325年から1354年のイブン・バットゥータの旅行は、この時期の移動の記録です。技術では1040年ごろの膠泥活字、1119年の羅針盤の航海利用の記録、1450年ごろのグーテンベルクの活版印刷術を収録しています。

区切りについて

1500年の前後には、1453年のコンスタンティノープルの陥落、1488年のディアスの喜望峰到達、1492年のグラナダの陥落とコロンブスの大西洋横断航海、1498年のヴァスコ・ダ・ガマのカリカット到達が集まっています。年表ではここを次の区間との境にしていますが、これは表示上の区切りで、出来事の意味づけを示すものではありません。日本ではこの区間に藤原氏の摂関政治、1086年の院政の開始、鎌倉新仏教の広まり、南北朝の内乱、室町幕府、1467年からの戦国大名の分立を収録しています。

地域別の内訳

この時代の出来事(全260件)

年表に収録したこの区間の項目をすべて、年代の順に並べています。「およそ」「諸説あり」は年代の確かさを示します。出来事名を押すと、年表のその位置が開きます。

  1. 500年〜800年西アジア・中東経済・交易およそソグド人の隊商交易

    サマルカンドを拠点に、中央アジアと中国を結ぶ交易を担った。

    場所
    サマルカンド
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Centre of Bukhara」
  2. 500年〜900年南北アメリカ政治・国家およそティワナクの繁栄

    チチカカ湖南岸の高地に、石造建築を伴う都市が営まれた。

    背景
    標高3800mの環境で、畝立て耕地により農業が営まれた。
    帰結
    石造建築と畝立て耕地の技法はアンデス南部に広く見られ、のちのインカの建築にも類似が指摘される。
    場所
    ティワナク(ボリビア)
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Tiwanaku: Spiritual and Political Centre of the Tiwanaku Culture」
  3. 527年〜565年ヨーロッパ政治・国家ユスティニアヌス1世の治世

    旧西ローマ領の一部を回復した。

    背景
    旧西ローマ領の回復を国家の目標とした。
    帰結
    北アフリカとイタリアを一時回復したが、疫病と戦費で国力を消耗した。
    場所
    イスタンブール
  4. 527年〜528年日本戦争・紛争磐井の乱

    筑紫の磐井が朝廷の軍と戦った。鎮圧後、九州に屯倉が置かれた。

    場所
    八女(福岡)
  5. 529年ヨーロッパ宗教・思想ベネディクト修道会の創設

    「祈り、働け」を規範とし、西欧の修道制の基礎となった。

    場所
    モンテ・カッシーノ
  6. 534年ヨーロッパ政治・国家ローマ法大全の編纂

    のちのヨーロッパ法学の基礎資料となった。

    背景
    それまでのローマ法は膨大な判例と勅法が整理されないまま蓄積していた。
    帰結
    11世紀以降ボローニャで研究され、ヨーロッパ大陸の法体系の基礎となった。
    場所
    イスタンブール
    出典
    Corpus iuris civilis, vol.1(Institutiones, P. Krueger/Digesta, T. Mommsen 校訂)Berlin: Weidmann, 1888–1895 — Internet Archive(トロント大学蔵)
  7. 537年ヨーロッパ文化・芸術ハギア・ソフィア聖堂の完成

    大ドームを架けた東ローマ建築の代表例。

    背景
    直径31mのドームを、四隅のペンデンティヴで支える構造がとられた。
    帰結
    以後の東ローマ建築とオスマン建築の双方に影響を与えた。
    場所
    ハギア・ソフィア
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Areas of Istanbul」
  8. 538年日本宗教・思想諸説あり仏教の日本伝来

    百済からの伝来。538年説と552年説がある。

    場所
    飛鳥(奈良)
    出典
    『日本書紀』欽明13年(552年)説/『上宮聖徳法王帝説』『元興寺伽藍縁起』戊午年(538年)説
  9. 541年〜549年ヨーロッパ災害・疫病ユスティニアヌスの疫病

    地中海世界で人口が大きく減少した腺ペストの流行。

    背景
    エジプトから地中海各地の港へ広がった。
    帰結
    領土回復事業が停滞し、東ローマ帝国の人口と税収が長期にわたり減少した。
    場所
    地中海世界
    出典
    Wagner, D. M. et al. "Yersinia pestis and the Plague of Justinian 541–543 AD: a genomic analysis." The Lancet Infectious Diseases 14 (2014)
  10. 552年〜744年西アジア・中東政治・国家突厥

    モンゴル高原から中央アジアに及んだトルコ系の遊牧国家。583年に東西に分かれた。

    場所
    モンゴル高原
    出典
    UNESCO世界遺産「Orkhon Valley Cultural Landscape(突厥碑文を含む)」
  11. 581年〜618年東アジア政治・国家隋

    南北朝を統一し、律令・科挙・大運河を整えた。

    背景
    西晋の滅亡以来およそ270年にわたって南北の分裂が続き、統治制度も南北で異なっていた。
    帰結
    律令・科挙・大運河が整えられ、唐がそのまま継承して東アジアの制度の型となった。
    場所
    西安(大興城)
  12. 587年日本政治・国家蘇我氏と物部氏の争い

    用明天皇の没後の皇位継承をめぐる争いの末、蘇我氏が物部氏を滅ぼした。仏教の受け入れをめぐる対立も伝えられる。

    場所
    八尾(大阪)
  13. 589年東アジア政治・国家隋による中国の統一

    南朝の陳が滅び、西晋の滅亡以来およそ270年ぶりに南北が一つの王朝のもとに置かれた。

    背景
    北朝の系譜を引く隋が、南朝の陳を滅ぼした。
    帰結
    江南の物資を華北へ運ぶ体制の整備が課題となった。
    場所
    南京(建康)
  14. 590年〜604年ヨーロッパ宗教・思想グレゴリウス1世の教皇在位

    ゲルマン諸族への布教が組織的に進められた。

    場所
    ローマ
  15. 600年〜1000年南北アメリカ政治・国家およそワリ

    アンデス中部。道路網と地方拠点を備えた広域の政体。ティワナクと並立した。

    場所
    アヤクーチョ(ペルー)
  16. 603年〜604年日本政治・国家冠位十二階と十七条憲法

    推古朝で、個人の功績に応じて位を与える制度と、官人の心構えを示す条文が定められた。

    背景
    氏姓による地位の固定を改め、中国にならった官僚の仕組みが求められていた。
    帰結
    以後の律令国家の官位の制度につながった。
    場所
    飛鳥(奈良県明日香村)
  17. 605年〜610年東アジア経済・交易大運河の建設

    華北と江南が水運で結ばれ、物資の輸送量が増えた。

    背景
    華北は政治と軍事の中心、江南は穀倉地帯という分業が生じていた。
    帰結
    南北の物資輸送が安定し、以後の王朝が江南の生産力に依存する構造ができた。
    場所
    大運河
    出典
    UNESCO世界遺産「The Grand Canal」
  18. 606年〜647年南アジア・東南アジア政治・国家ハルシャ・ヴァルダナの統一

    北インドを一時的に統合した。玄奘が滞在した。

    場所
    カナウジ
  19. 607年日本文化・芸術およそ法隆寺の造営

    現存する木造建築として最古とされる。670年の焼失と再建をめぐる論争があり、現在の伽藍は7世紀後半とみられている。

    場所
    法隆寺(奈良)
    出典
    UNESCO世界遺産「Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area」
  20. 607年日本政治・国家遣隋使の派遣

    倭が隋へ使節を送り、国書を交わした。最初の派遣は600年で、『隋書』にのみ記される。

    場所
    飛鳥(奈良)
  21. 610年西アジア・中東宗教・思想およそイスラームの成立

    ムハンマドによる布教の開始。622年のヒジュラがイスラーム暦の紀元となる。

    背景
    メッカは隊商交易の中継地で、部族ごとの信仰が併存していた。
    帰結
    1世紀のうちにイベリア半島から中央アジアに及ぶ政治圏が形成された。
    場所
    メッカ
  22. 618年〜907年東アジア政治・国家唐

    長安を都とし、ユーラシア東西の交易が拡大した。

    背景
    隋が整えた制度を引き継ぎ、律令と科挙による官僚制を確立した。
    帰結
    長安に各地の使節と商人が集まり、周辺諸国が律令と漢字文化を採り入れた。
    場所
    西安(長安)
  23. 622年西アジア・中東宗教・思想ヒジュラ(メディナへの移住)

    イスラーム暦の紀元とされる。

    背景
    メッカの有力部族から迫害を受け、活動の拠点を移した。
    帰結
    信仰を紐帯とする共同体が成立し、部族を超えた政治的まとまりが生まれた。
    場所
    メディナ
  24. 624年東アジア経済・交易唐の均田制・租庸調制

    土地の給付と税・労役を対応させる制度が整えられた。

    背景
    北魏以来の土地給付の制度を整備した。
    帰結
    人口の増加と土地の偏在により8世紀に維持できなくなり、両税法へ移行した。
    場所
    西安(長安)
  25. 626年東アジア政治・国家玄武門の変と太宗の即位

    以後「貞観の治」と呼ばれる時期が続いた。

    場所
    長安(西安)
  26. 628年南アジア・東南アジア科学・技術ブラフマグプタによるゼロの演算規則

    ゼロを数として扱う規則が明文化された。

    背景
    ゼロと負の数を計算の対象として扱う必要が生じていた。
    帰結
    インドの記数法がアラビア語圏を経てヨーロッパへ伝わり、現在の算用数字となった。
    場所
    ウッジャイン
  27. 629年〜645年東アジア宗教・思想玄奘のインド旅行

    経典を持ち帰り漢訳した。旅行記『大唐西域記』を残した。

    背景
    漢訳経典の異同を確かめるため、国禁を犯して出国した。
    帰結
    持ち帰った経典の翻訳が東アジアの仏教の教理を大きく整えた。
    場所
    ナーランダ
  28. 630年西アジア・中東政治・国家ムハンマドの勢力によるメッカの征服

    ムハンマドの勢力がメッカを制圧し、カーバ神殿が偶像を除いて聖所とされた。

    場所
    メッカ
  29. 632年〜661年西アジア・中東政治・国家正統カリフ時代

    選挙で選ばれた4人のカリフが共同体を率いた。

    背景
    ムハンマドの死後、共同体を率いる指導者を合議で選んだ。
    帰結
    短期間でササン朝を滅ぼし東ローマ帝国からシリア・エジプトを奪った。指導者の選び方をめぐる対立が宗派の分岐につながった。
    場所
    メディナ
  30. 636年西アジア・中東戦争・紛争ヤルムークの戦い

    アラブ・ムスリム軍が東ローマ軍を破り、東ローマ帝国はシリアを失った。

    場所
    ヤルムーク川
  31. 641年アフリカ戦争・紛争アラブ軍によるエジプトの征服

    アレクサンドリアが開城し、アラブ軍がエジプトを支配下に置いた。

    場所
    アレクサンドリア
  32. 642年西アジア・中東戦争・紛争ニハーヴァンドの戦い

    アラブ・ムスリム軍がササン朝の主力を破り、イラン高原への進出が決定的となった。

    場所
    ニハーヴァンド
  33. 645年日本政治・国家大化の改新

    中大兄皇子らが蘇我氏の本宗家を倒し(乙巳の変)、翌年に改新の詔が出されたと『日本書紀』は記す。詔の文言には後世の潤色が指摘され、改革の実態には議論がある。

    場所
    飛鳥(奈良)
  34. 651年西アジア・中東政治・国家ササン朝の滅亡

    400年余り続いたイラン系王朝が終わった。

    背景
    東ローマとの長期の戦争で国力が消耗していた。
    帰結
    ゾロアスター教に代わりイスラームが広がったが、ペルシア語と行政の伝統は継承された。
    場所
    メルヴ
  35. 656年〜661年西アジア・中東政治・国家第1次内乱(フィトナ)

    カリフの正統性をめぐる対立。のちの宗派の分岐につながった。

    場所
    クーファ
  36. 661年〜750年西アジア・中東政治・国家ウマイヤ朝

    ダマスクスを都とし、世襲のカリフ位が確立した。

    背景
    正統カリフ時代の内乱を経て、ムアーウィヤが実権を握った。
    帰結
    西はイベリア半島、東は中央アジアに至る版図となり、アラビア語が行政の共通語となった。
    場所
    ダマスクス
    出典
    UNESCO世界遺産「Ancient City of Damascus」
  37. 663年東アジア戦争・紛争白村江の戦い

    倭・百済連合が唐・新羅連合に敗れ、倭は半島から後退した。

    場所
    白村江(錦江河口)
  38. 668年東アジア政治・国家高句麗の滅亡

    以後、新羅が唐と結んで朝鮮半島の大半を統一した。

    背景
    唐と新羅の連合軍による攻撃を受けた。
    帰結
    新羅が半島の大半を統一し、唐の制度と仏教が朝鮮半島に定着した。
    場所
    平壌
    出典
    UNESCO世界遺産「Capital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom」
  39. 670年〜1288年南アジア・東南アジア経済・交易およそシュリーヴィジャヤ

    スマトラを拠点にマラッカ海峡の交易を握った港市国家連合。

    背景
    インドと中国を結ぶ海路の要衝にあたっていた。
    帰結
    義浄が仏教の学習地として記録し、のちマラッカ王国へ交易の中心が移った。
    場所
    パレンバン
  40. 671年〜695年南アジア・東南アジア宗教・思想義浄のインド旅行

    海路で往復し、『南海寄帰内法伝』を著した。

    場所
    ナーランダー
  41. 672年日本戦争・紛争壬申の乱

    皇位をめぐる争いに勝った大海人皇子が天武天皇として即位した。

    場所
    大津(滋賀)
  42. 680年西アジア・中東宗教・思想カルバラーの戦い

    ウマイヤ朝の軍がムハンマドの孫フサインの一行を討ち、シーア派の重要な記憶となった。

    場所
    カルバラー
  43. 683年日本経済・交易およそ富本銭の鋳造

    日本で最初期の銅銭とされる。流通の範囲は限られていたとみられる。

    場所
    飛鳥(奈良)
  44. 690年〜705年東アジア政治・国家武則天の治世

    中国史上唯一、女性が皇帝として即位した。

    場所
    洛陽
  45. 694年日本政治・国家藤原京への遷都

    条坊を備えた最初の本格的な都。持統天皇のもとで営まれた。

    場所
    橿原(奈良)
  46. 698年〜926年東アジア政治・国家渤海

    中国東北部から朝鮮半島北部に及んだ国家。唐や日本と使節を交わした。

    場所
    上京龍泉府(黒竜江省寧安)
  47. 700年〜1200年アフリカ経済・交易およそガーナ王国とサハラ縦断交易

    金と岩塩の交換を担い、ムスリム商人が往来した。

    背景
    サハラ以南の金と、サハラ以北の岩塩が交換される回路が成立していた。
    帰結
    ムスリム商人の往来を通じて西アフリカにイスラームが広がり、都市が発達した。
    場所
    クンビ・サーレ(モーリタニア)
  48. 701年日本政治・国家大宝律令

    唐の律令にならった法典が日本で施行された。

    場所
    日本全国
  49. 708年日本経済・交易和同開珎の鋳造

    武蔵国から銅が献上されたのを機に鋳造された。政府は流通を促す策をとった。

    場所
    秩父(埼玉)
  50. 710年日本政治・国家平城京遷都

    唐の長安を範とする都城が営まれた。

    場所
    奈良
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Monuments of Ancient Nara」
  51. 711年ヨーロッパ戦争・紛争ウマイヤ朝軍のイベリア半島進出

    ウマイヤ朝の軍が海峡を越え、西ゴート王国が滅んだ。

    背景
    西ゴート王国の内紛に乗じ、北アフリカから海峡を越えた。
    帰結
    コルドバなどが学術の中心となり、イスラーム政権は15世紀末まで半島南部に残った。
    場所
    イベリア半島
  52. 711年ヨーロッパ政治・国家西ゴート王国の滅亡

    ウマイヤ朝軍がグアダレーテ河畔で西ゴート軍を破り、以後半島の大半を支配下に置いた。

    場所
    グアダレーテ川
  53. 712年〜756年東アジア政治・国家玄宗の治世

    前半は開元の治と呼ばれ、唐の最盛期とされる。

    背景
    科挙出身の官僚を登用し、前半は安定した統治が続いた。
    帰結
    後半に節度使への権限集中が進み、安史の乱が起きた。
    場所
    西安(長安)
  54. 712年〜720年日本文化・芸術『古事記』と『日本書紀』の編纂

    国のなりたちを記す史書がまとめられた。

    場所
    奈良
  55. 723年日本経済・交易三世一身法

    灌漑施設を新設して開墾した田は三代、既存の施設を利用した田は本人一代に限って私有を認めた。

    場所
    日本全国
  56. 732年ヨーロッパ戦争・紛争トゥール・ポワティエ間の戦い

    フランク王国軍がイスラーム軍の北進を退けた。

    背景
    イベリア半島を制圧した勢力がピレネーを越えて進出した。
    帰結
    カロリング家の権威が高まり、のちの王朝交替につながった。
    場所
    ポワティエ
  57. 743年日本経済・交易墾田永年私財法

    開墾した田の永年の私有を認めた。のちの荘園の広がりにつながった。

    場所
    日本全国
  58. 743年〜752年日本宗教・思想東大寺大仏の造立

    聖武天皇の詔により造られ、752年に開眼供養が行われた。

    背景
    疫病と飢饉、反乱が続き、仏教によって国を安んじる考えがとられた。
    帰結
    全国から資材と労力が集められ、国分寺・国分尼寺の建立と合わせて国家の事業となった。
    場所
    奈良(東大寺)
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Monuments of Ancient Nara」
  59. 744年〜840年西アジア・中東政治・国家ウイグル可汗国

    突厥に代わってモンゴル高原を支配した。安史の乱では唐に援軍を送った。

    場所
    オルドゥ・バリク(カラバルガスン)
    出典
    UNESCO世界遺産「Orkhon Valley Cultural Landscape(ウイグル可汗国の都城跡を含む)」
  60. 750年西アジア・中東政治・国家アッバース朝の成立

    後にバグダードが建設された。

    背景
    ウマイヤ朝下でアラブ人以外の改宗者が不満をもっていた。
    帰結
    民族を問わず信徒の平等が原則とされ、イスラーム世界の統合が進んだ。
    場所
    クーファ
    出典
    UNESCO世界遺産「Samarra Archaeological City(9世紀のアッバース朝の都城跡)」
  61. 751年東アジア戦争・紛争タラス河畔の戦い

    唐軍がアッバース朝軍に敗れ、中央アジアの勢力図が変わった。

    背景
    唐とアッバース朝がともに中央アジアへ勢力を伸ばし、境界で接した。
    帰結
    その後、唐は安史の乱を経て中央アジアから後退し、この地域は次第にイスラーム圏に含まれていった。製紙法が西へ伝わる契機ともされる。
    場所
    タラズ(カザフスタン)
  62. 751年西アジア・中東科学・技術製紙法の西伝

    タラス河畔の戦いを機にサマルカンドへ伝わったとされる。

    背景
    タラス河畔の戦いの捕虜が製法を伝えたとする記録がある。
    帰結
    サマルカンド・バグダードに製紙所が置かれ、書物の複製費用が下がった。
    場所
    サマルカンド
  63. 751年ヨーロッパ政治・国家カロリング朝の成立

    ピピンが教皇の承認を得て王位に就いた。

    背景
    宮宰として実権を握っていた家が、教皇の承認を得て王位に就いた。
    帰結
    教皇と結ぶことで王権が正統化され、以後の西欧の政治の型となった。
    場所
    ソワソン
  64. 753年日本宗教・思想鑑真の来日

    渡航に何度も失敗したのち来日し、正式な戒律の授与を伝えた。

    場所
    唐招提寺(奈良)
  65. 755年〜763年東アジア戦争・紛争安史の乱

    唐の節度使による大規模な反乱。

    背景
    辺境防衛のため節度使に軍事・行政・財政の権限が集中していた。
    帰結
    均田制と租庸調制が崩れ、両税法へ移行した。節度使が各地で自立し、唐の統制が及ばなくなった。
    場所
    華北
  66. 756年ヨーロッパ政治・国家ピピンの寄進

    ラヴェンナ地方が教皇に寄進され、教皇領の起源となった。

    場所
    ラヴェンナ
  67. 760年日本文化・芸術およそ『万葉集』の成立

    天皇から庶民まで、幅広い作者の歌約4500首を集めた歌集。

    場所
    奈良
  68. 762年西アジア・中東政治・国家バグダードの建設

    円形の計画都市として造営され、交易と学術の中心となった。

    背景
    アッバース朝が政治の重心をシリアからイラクへ移した。
    帰結
    インド洋交易と陸路の結節点となり、翻訳事業を通じてギリシアとインドの学術が集積した。
    場所
    バグダード
  69. 780年東アジア経済・交易両税法の施行

    土地の給付を前提とせず、資産に応じて夏秋2回課税する方式。

    背景
    均田制が崩れ、戸籍に基づく課税が機能しなくなっていた。
    帰結
    土地と資産に応じた課税へ移り、以後の中国の税制の基本形となった。
    場所
    西安(長安)
  70. 780年南アジア・東南アジア文化・芸術およそボロブドゥールの造営

    ジャワ島。大規模な仏教遺跡。

    背景
    ジャワの王朝が大乗仏教を保護した時期にあたる。
    帰結
    回廊の浮彫が経典の内容を順に示す構成をとる。宗教施設としては放棄されたが、地元では伝承として存在が語り継がれ、19世紀に本格的な調査が始まった。
    場所
    ボロブドゥール
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Borobudur Temple Compounds」
  71. 784年日本政治・国家長岡京への遷都

    平城京から移されたが、造営は10年で中断した。

    場所
    長岡京(京都)
  72. 786年〜809年西アジア・中東政治・国家ハールーン・アッラシードの治世

    アッバース朝の最盛期とされる。

    場所
    バグダード
  73. 794年日本政治・国家平安京への遷都

    以後、明治にいたるまで天皇の居所が置かれた。

    場所
    京都
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities)」
  74. 800年ヨーロッパ政治・国家カール大帝の戴冠

    ローマ教皇レオ3世による戴冠。

    背景
    ローマ教皇が東ローマ帝国とは別の保護者を求めた。
    帰結
    西ヨーロッパに独自の帝権が生まれ、東西の分離が進んだ。
    場所
    ローマ
    出典
    UNESCO世界遺産「Aachen Cathedral」
  75. 802年〜1431年南アジア・東南アジア政治・国家アンコール朝

    カンボジア。灌漑を基盤に大規模な都城を営んだ。

    背景
    トンレサップ湖に注ぐ河川の平原で、バライと呼ばれる貯水池と水路による稲作が営まれた。
    帰結
    大規模な寺院建築が続けられ、13世紀以降は上座部仏教が広がった。
    場所
    アンコール
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Angkor」
  76. 802年日本戦争・紛争蝦夷との戦いとアテルイの降伏

    坂上田村麻呂が胆沢に城を築き、アテルイが降伏した。東北への支配が広がった。

    場所
    奥州(岩手・胆沢城)
  77. 805年〜806年日本宗教・思想最澄と空海の帰国

    唐から戻った二人が天台宗と真言宗を開いた。

    場所
    比叡山延暦寺(滋賀)
    出典
    UNESCO世界遺産「Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range(高野山を含む)」
  78. 820年西アジア・中東科学・技術およそフワーリズミーの数学書

    一次・二次方程式の解法を体系化し、インド由来の記数法を紹介した。

    背景
    インドの記数法とギリシアの幾何学の双方が入手できる環境にあった。
    帰結
    著者名がアルゴリズム、書名の一部が代数(algebra)の語源となった。
    場所
    バグダード
  79. 830年西アジア・中東文化・芸術およそ知恵の館

    バグダードの図書館・文書庫。この時期、ギリシア語・シリア語・サンスクリット語の文献がアラビア語に翻訳された。

    背景
    アッバース朝の宮廷と有力者の後援のもとで、各地の学術文献の収集と翻訳が進んだ。
    帰結
    ギリシアの哲学・医学がアラビア語で保存・発展し、のちラテン語訳を通じてヨーロッパへ還流した。
    場所
    バグダード
  80. 843年ヨーロッパ政治・国家ヴェルダン条約

    フランク王国が三分され、独・仏・伊の原型となった。

    背景
    カール大帝の孫たちが相続をめぐって争った。
    帰結
    西フランク・東フランク・中部フランクに分かれ、のちのフランス・ドイツ・イタリアの原型となった。
    場所
    ヴェルダン
  81. 845年東アジア宗教・思想会昌の廃仏

    寺院と僧尼が大幅に整理された。

    場所
    長安(西安)
  82. 862年ヨーロッパ政治・国家およそルーシの成立

    ノヴゴロド・キエフを拠点とする国家が形成された。

    背景
    バルト海と黒海を結ぶ河川交易路の要衝にあたる。
    帰結
    キエフを中心とする国家へ発展し、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの源流とされる。
    場所
    ノヴゴロド
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Monuments of Novgorod and Surroundings」
  83. 866年〜1068年日本政治・国家およそ藤原氏の摂関政治

    天皇の外戚として摂政・関白の地位を占め、政治の中心となった。

    背景
    有力な氏族が退けられ、藤原北家が権力を集めていた。
    帰結
    1068年に外戚でない後三条天皇が即位し、以後は院政に移った。
    場所
    京都
  84. 870年ヨーロッパ政治・国家メルセン条約

    中部フランクの領域が東西に分割された。

    場所
    メールセン
  85. 875年〜884年東アジア戦争・紛争黄巣の乱

    塩の密売商人が率いた反乱。唐の統治が事実上崩れた。

    場所
    長安(西安)
  86. 894年日本政治・国家遣唐使の停止

    菅原道真の建議により、その年に予定されていた唐への使節の派遣が取りやめられた。以後、公式の使節は送られなかった。

    場所
    京都
  87. 900年南北アメリカ災害・疫病諸説ありマヤ低地の都市の放棄

    干ばつを含む複数の要因が議論されている。

    背景
    長期の干ばつを示す地質記録が得られている。
    帰結
    北部のチチェン・イッツァなどへ中心が移り、低地南部の大都市は放棄された。
    場所
    マヤ低地(ペテン地方)
    出典
    Kennett, D. J. et al. "Development and Disintegration of Maya Political Systems in Response to Climate Change." Science 338 (2012)
  88. 900年〜1150年南北アメリカ人類・社会およそチャコ・キャニオンの大集落

    北米南西部。石造の大規模集合住居と、周辺集落を結ぶ道が築かれた。

    場所
    チャコ・キャニオン(ニューメキシコ州)
    出典
    UNESCO世界遺産「Chaco Culture」
  89. 900年〜1200年南北アメリカ政治・国家およそチチェン・イッツァの隆盛

    ユカタン半島北部の都市。セノーテと呼ばれる泉が水源となった。

    背景
    マヤ低地南部の大都市が放棄された後、中心が北部へ移った。
    帰結
    メキシコ中央高原の要素を取り入れた建築が営まれた。
    場所
    チチェン・イッツァ(ユカタン半島)
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Pre-Hispanic City of Chichen-Itza」
  90. 900年〜1300年オセアニア人類・社会およそ東ポリネシアへの拡散

    マルケサス・ソシエテ・ハワイ・ニュージーランド・イースター島へ順次到達した。到達年代には研究者間で幅がある。

    背景
    ラピタ文化以来のカヌーと星や波を読む航海術が用いられた。
    帰結
    太平洋の主要な島々に人が住むようになり、言語と作物の分布に共通性が残った。
    場所
    東ポリネシア
    出典
    Wilmshurst, J. M. et al. "High-precision radiocarbon dating shows recent and rapid initial human colonization of East Polynesia." PNAS 108 (2011)
  91. 900年〜1100年日本文化・芸術およそかな文字の普及と国風文化

    漢字をくずしたかな文字が使われ、和歌と物語、日記が書かれた。

    背景
    大陸の文物は商船を通じて入り続けており、それを受けとめる自国語の表現が育っていた。
    帰結
    『源氏物語』『枕草子』など、かなによる文学が生まれた。
    場所
    京都
  92. 907年〜960年東アジア政治・国家五代十国

    唐の滅亡後、華北で五王朝が交替し各地に地方政権が並立した。

    背景
    唐末の節度使が各地で自立し、統一的な権力が失われた。
    帰結
    門閥貴族が没落し、宋では科挙出身の官僚が統治を担う体制へ移った。
    場所
    華北
  93. 909年〜1171年アフリカ政治・国家ファーティマ朝

    北アフリカに成立したシーア派の王朝。カリフを称した。

    背景
    アッバース朝の権威が揺らぐなか、シーア派の一派が北アフリカで自立した。
    帰結
    カイロを建設してカリフを称し、イスラーム世界に複数のカリフが並立する状況が生じた。
    場所
    カイロ
  94. 911年ヨーロッパ政治・国家ノルマンディー公国の成立

    北方からの襲撃者が西フランク王から封土を得て定着した。

    場所
    ノルマンディー
  95. 916年〜1125年東アジア政治・国家遼(契丹)

    契丹が中国北部と草原地帯にまたがって建てた王朝。独自の契丹文字を用いた。

    場所
    上京臨潢府(内モンゴル・バーリン左旗)
  96. 918年〜1392年東アジア政治・国家高麗

    後三国を統一した王朝。仏教を保護し、青磁と木版印刷が発達した。

    場所
    開城
  97. 929年ヨーロッパ政治・国家後ウマイヤ朝のカリフ宣言

    コルドバがイスラーム世界西端の学術都市となった。

    場所
    コルドバ
  98. 935年〜941年日本戦争・紛争平将門の乱と藤原純友の乱

    東国と瀬戸内でほぼ同時に起きた反乱。鎮圧に武士の力が用いられた。

    場所
    日本各地(関東と瀬戸内)
  99. 950年〜1150年南北アメリカ政治・国家およそトルテカ

    メソアメリカ中央高原。トゥーラを中心とした政体で、のちの伝承に受け継がれた。

    場所
    トゥーラ(イダルゴ州)
  100. 960年〜1279年東アジア政治・国家宋

    火薬・羅針盤・印刷術の実用化が進んだ時期にあたる。

    背景
    五代の武断政治への反省から、文官を重んじる統治がとられた。
    帰結
    科挙が整備され、火薬・羅針盤・印刷術が実用化された一方、軍事的には劣勢が続いた。
    場所
    開封
  101. 962年〜1806年ヨーロッパ政治・国家神聖ローマ帝国

    オットー1世の戴冠に始まる。ドイツを中心に諸邦が並立する緩やかな連合体として続いた。

    背景
    東フランク王国のオットー1世が、ローマ教皇から帝冠を受けた。
    帰結
    皇帝権と教皇権の関係が中世ヨーロッパの政治の主要な軸となり、1806年まで存続した。
    場所
    ドイツ
  102. 969年アフリカ政治・国家カイロの建設

    ファーティマ朝の新都として造営された。

    場所
    カイロ
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Cairo」
  103. 970年アフリカ文化・芸術アズハル学院の設立

    現存する最古級の高等教育機関のひとつ。

    場所
    アズハル・モスク(カイロ)
  104. 988年ヨーロッパ宗教・思想およそキエフ・ルーシのキリスト教受容

    東方教会の典礼と文字がスラヴ世界へ広がった。

    背景
    東ローマ帝国との関係強化が図られた。
    帰結
    キリル文字と東方教会の典礼が定着し、東スラヴ世界の文化的基盤となった。
    場所
    キーウ
    出典
    UNESCO世界遺産「Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra」
  105. 999年〜1211年西アジア・中東政治・国家およそカラハン朝

    中央アジア最初のトルコ系イスラーム王朝。この地域のトルコ化とイスラーム化が進んだ。成立年代には諸説があり、999年はサーマーン朝の領域を接収した年。

    場所
    バラサグン
  106. 1000年ヨーロッパ経済・交易およそ三圃制の普及

    耕地を三分して輪作する方式。北ヨーロッパで段階的に広がった。

    背景
    重量有輪犂と馬の利用が広がり、北ヨーロッパの重い土壌が耕せるようになった。
    帰結
    収穫量の増加が人口の増加や開墾運動と並行して進んだとされる。
    場所
    北西ヨーロッパ
  107. 1000年〜1400年アフリカ文化・芸術およそイフェ王国の造形

    写実的な銅合金製の頭像が制作された。

    場所
    イフェ
  108. 1000年〜1500年アフリカ経済・交易およそスワヒリ海岸の交易都市

    キルワ、モンバサなどがインド洋交易で栄えた。

    背景
    季節風を利用したインド洋交易の西端に位置した。
    帰結
    アラビア語の語彙を取り込んだスワヒリ語が共通語として成立した。
    場所
    スワヒリ海岸(キルワなど)
  109. 1000年〜1600年オセアニア文化・芸術およそイースター島のモアイ像の造営

    凝灰岩を切り出した石像が、祭壇の上に立てられた。

    背景
    南太平洋の東端に到達したポリネシア人が、外部との接触が絶えた状態で社会を営んだ。
    帰結
    900体近い石像と300を超える祭壇が残るが、16世紀以降は造営が途絶えた。
    場所
    イースター島
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Rapa Nui National Park」
  110. 1000年〜1200年日本経済・交易およそ荘園公領制の成立

    寄進によって重層的な権利が生まれ、荘園と公領が並び立つ体制になった。

    場所
    日本全国
  111. 1004年東アジア政治・国家澶淵の盟

    宋が遼に毎年絹と銀を贈る条件で和議を結んだ。

    場所
    澶州(河南省濮陽)
  112. 1008年日本文化・芸術およそ『源氏物語』の成立

    紫式部による物語。1008年の『紫式部日記』に言及がある。

    場所
    京都
  113. 1009年〜1225年南アジア・東南アジア政治・国家大越(李朝)の成立

    10世紀に確立した中国からの独立を継承した王朝。科挙と律令を導入し、1054年に国号を大越とした。

    場所
    タンロン(ハノイ)
  114. 1019年日本戦争・紛争刀伊の入寇

    女真とみられる集団が九州北部を襲い、大宰権帥藤原隆家のもとで撃退された。

    場所
    博多(福岡)
  115. 1025年南アジア・東南アジア戦争・紛争チョーラ朝の海上遠征

    南インドの王朝がスマトラの港市国家へ遠征した。

    背景
    インド洋交易の主導権をめぐる競合があった。
    帰結
    南インドの影響が東南アジアに及び、寺院建築と文字が伝わった。
    場所
    タンジャーヴール
  116. 1025年西アジア・中東科学・技術およそイブン・シーナー『医学典範』

    ラテン語訳がヨーロッパの医学教育で長く用いられた。

    背景
    ギリシア・インド・ペルシアの医学が集積していた。
    帰結
    ラテン語訳が17世紀までヨーロッパの医学校で教科書として用いられた。
    場所
    ハマダーン
  117. 1037年〜1194年西アジア・中東政治・国家セルジューク朝

    トルコ系の王朝が西アジアの広域を支配した。

    背景
    中央アジアのトルコ系集団が西進し、アッバース朝カリフの保護者となった。
    帰結
    アナトリアへの進出が東ローマ帝国を圧迫し、十字軍が起こる一因となった。
    場所
    イスファハーン
  118. 1038年〜1227年東アジア政治・国家西夏

    タングートが河西回廊に建てた国家。西夏文字を用い、東西交易の要地を押さえた。

    場所
    興慶府(銀川)
  119. 1040年東アジア科学・技術およそ膠泥活字の考案

    畢昇による。『夢渓筆談』に製法が記録されている。

    背景
    木版印刷が普及し、複製の効率化が課題となっていた。
    帰結
    漢字の字種の多さから普及は限られたが、朝鮮では金属活字へ発展した。
    場所
    開封
  120. 1044年〜1287年南アジア・東南アジア政治・国家パガン朝

    ビルマ最初の統一王朝。上座部仏教が定着し、多数の仏塔が築かれた。

    場所
    バガン
    出典
    UNESCO世界遺産「Bagan」
  121. 1050年〜1350年南北アメリカ政治・国家およそカホキア

    ミシシッピ川流域の大規模な塚を伴う集落。

    場所
    カホキア(イリノイ州)
    出典
    UNESCO世界遺産「Cahokia Mounds State Historic Site」
  122. 1051年〜1087年日本戦争・紛争前九年合戦と後三年合戦

    東北の争乱。源氏が東国の武士と結びつく契機となった。

    場所
    東北地方
  123. 1053年日本文化・芸術平等院鳳凰堂の造営

    藤原頼通が宇治に建てた阿弥陀堂。浄土への往生を願う信仰を示す。

    場所
    平等院(京都・宇治)
  124. 1054年ヨーロッパ宗教・思想東西教会の相互破門

    ローマ教会とコンスタンティノープル教会の分離。

    背景
    典礼と教皇の権威をめぐる対立が長く続いていた。
    帰結
    カトリック教会と正教会の分立が固定し、以後の統合の試みも実らなかった。
    場所
    イスタンブール
  125. 1055年西アジア・中東政治・国家セルジューク朝のバグダード入城

    カリフからスルタンの称号を与えられた。

    場所
    バグダード
  126. 1056年〜1147年アフリカ政治・国家ムラービト朝

    西サハラから興り、モロッコとイベリア半島南部を支配した。

    場所
    マラケシュ
  127. 1066年ヨーロッパ戦争・紛争ノルマン・コンクェスト

    イングランドの支配層と言語に大きな変化が生じた。

    背景
    ノルマンディー公がイングランドの王位継承権を主張し、渡海した。
    帰結
    大陸系の支配層と封建制度が持ち込まれ、英語にフランス語由来の語彙が大量に入った。
    場所
    ヘイスティングズ
    出典
    UNESCO世界遺産「Tower of London」
  128. 1069年東アジア政治・国家王安石の新法

    財政再建と軍制改革を図ったが、官僚間の対立が続いた。

    背景
    対外的な歳幣の支出と官僚機構の肥大で、宋の財政が悪化していた。
    帰結
    官僚が新法・旧法の二派に分かれて対立し、政策が交替のたびに覆された。
    場所
    開封
  129. 1071年西アジア・中東戦争・紛争マラーズギルドの戦い

    セルジューク朝軍が東ローマ軍を破り、皇帝が捕らえられた。以後の内乱のなかでアナトリア内陸部が失われた。

    背景
    セルジューク朝が東方から進出していた。
    帰結
    アナトリアのトルコ化が進み、東ローマ帝国が西方へ援軍を求める契機となった。
    場所
    マラズギルト
  130. 1077年〜1231年西アジア・中東政治・国家ホラズム朝

    中央アジアからイランに及ぶ王朝。モンゴル軍の侵攻を受けて滅んだ。

    場所
    ウルゲンチ(クフナ・ウルゲンチ)
  131. 1077年ヨーロッパ宗教・思想カノッサの屈辱

    聖職叙任権をめぐり皇帝が教皇に赦免を求めた。

    背景
    司教の任命権を教皇と皇帝のどちらが持つかが争点となっていた。
    帰結
    教皇権が皇帝権を上回る象徴的な出来事とされ、1122年の協約で妥協が図られた。
    場所
    カノッサ
  132. 1084年東アジア文化・芸術司馬光『資治通鑑』

    編年体で戦国から五代までを記した通史。

    場所
    洛陽
  133. 1086年日本政治・国家院政の開始

    白河上皇が位を譲ったのち、上皇として政務をとった。

    背景
    摂関家を外戚としない天皇が続き、天皇家が自ら実権を持つ道が開かれた。
    帰結
    上皇の周囲に武士が集まり、のちの武家の台頭の場となった。
    場所
    京都
  134. 1087年〜1189年日本政治・国家奥州藤原氏

    平泉を拠点に東北を治めた。金と馬の産出を背景に中尊寺などが建てられた。

    場所
    平泉(岩手)
    出典
    UNESCO世界遺産「Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land」
  135. 1088年ヨーロッパ文化・芸術およそボローニャ大学の成立

    法学を中心とする自治的な学生組合として始まった。

    背景
    ローマ法大全の研究に学生が各地から集まった。
    帰結
    学生組合が教師を雇う形式から自治が生まれ、ヨーロッパの大学の原型となった。
    場所
    ボローニャ
  136. 1096年〜1099年ヨーロッパ戦争・紛争第1回十字軍

    イェルサレムを占領し、占領時に住民の大規模な殺害があった。以後13世紀まで断続的に遠征が行われた。

    背景
    東ローマ帝国がセルジューク朝の進出に対し、西方へ援軍を求めた。
    帰結
    十字軍諸侯が地中海東岸に諸国家を建て、イタリア諸都市の東方交易が拡大した。
    場所
    エルサレム
  137. 1099年西アジア・中東戦争・紛争十字軍によるイェルサレム占領

    イェルサレム王国が建てられた。

    場所
    イェルサレム
    出典
    UNESCO世界遺産「Old City of Jerusalem and its Walls」
  138. 1100年〜1450年アフリカ政治・国家およそ大ジンバブエ

    石積みの大規模遺構。インド洋交易と結びついていた。

    背景
    内陸の金の産地と、インド洋沿岸の交易都市を結ぶ位置にあった。
    帰結
    中国やペルシアの陶磁器が出土し、インド洋交易圏に組み込まれていたことが確認される。
    場所
    グレート・ジンバブエ
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Great Zimbabwe National Monument」
  139. 1100年〜1846年アフリカ政治・国家およそカネム・ボルヌ

    チャド湖周辺の王国。サハラ縦断交易とイスラームの受容で知られる。成立の年代には諸説がある。

    背景
    サハラを縦断する隊商路の南端にあたっていた。
    帰結
    岩塩・銅・馬と、金や皮革などが交換され、支配層がイスラームを受け入れた。
    場所
    チャド湖周辺
  140. 1113年〜1150年南アジア・東南アジア文化・芸術およそアンコール・ワットの造営

    当初ヒンドゥー寺院として建立され、のち仏教寺院となった。

    背景
    王が自らを神と一体のものとする観念が背景にあった。
    帰結
    石造伽藍と浮彫が残り、現在はカンボジアの国旗にも描かれている。
    場所
    アンコール・ワット
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Angkor」
  141. 1115年〜1234年東アジア政治・国家金

    女真族の王朝。華北を支配した。

    場所
    上京会寧府(ハルビン市阿城)
  142. 1119年東アジア科学・技術およそ羅針盤の航海利用の記録

    『萍洲可談』に船で方位磁針を用いた記述がある。

    背景
    曇天や夜間でも方位を知る手段が求められていた。
    帰結
    ほぼ同時期にヨーロッパでも磁針の航海利用が記録され、遠洋航海の前提となった。中国からの伝来の経路については諸説がある。
    場所
    広州
  143. 1122年ヨーロッパ宗教・思想ヴォルムス協約

    聖職叙任権闘争が妥協で決着した。

    場所
    ヴォルムス
  144. 1127年東アジア政治・国家靖康の変と南宋の成立

    開封が陥落し、宋は江南に拠点を移した。

    背景
    金との同盟で遼を挟撃した後、金の攻撃を受けた。
    帰結
    江南の開発と海上交易が進み、経済の重心が南へ移った。
    場所
    開封
  145. 1130年〜1269年アフリカ政治・国家ムワッヒド朝

    ムラービト朝に代わって北アフリカとイベリア半島南部を支配した。

    場所
    マラケシュ
  146. 1156年〜1159年日本戦争・紛争保元の乱と平治の乱

    皇室と摂関家の対立に武士が動員され、平氏が力を伸ばした。

    場所
    京都
  147. 1163年ヨーロッパ文化・芸術ノートルダム大聖堂の起工

    尖頭アーチと飛び梁を用いたゴシック建築。

    場所
    パリ(ノートルダム大聖堂)
  148. 1167年〜1185年日本政治・国家平氏政権

    平清盛が太政大臣となり、日宋貿易にも力を入れた。

    場所
    京都
    出典
    UNESCO世界遺産「Itsukushima Shinto Shrine」
  149. 1169年〜1250年アフリカ政治・国家アイユーブ朝

    サラーフ・アッディーンがエジプトに建てた王朝。

    背景
    ファーティマ朝の宰相だったサラーフ・アッディーンが実権を握った。
    帰結
    十字軍国家からイェルサレムを回復し、スンナ派の統治が復した。
    場所
    カイロ
  150. 1175年〜1300年日本宗教・思想およそ鎌倉新仏教の広まり

    法然・親鸞・日蓮・道元らが、念仏や題目、坐禅による教えを説いた。

    背景
    顕密の旧仏教が主流を占めるなかで、念仏や題目など実践のわかりやすい教えが説かれた。
    帰結
    武士や庶民にも信仰が広がり、以後の日本の宗派の骨格ができた。
    場所
    鎌倉
  151. 1180年〜1185年日本戦争・紛争治承・寿永の内乱

    各地の反乱から始まり、壇ノ浦の戦いで平氏が滅んだ。

    場所
    下関(山口・壇ノ浦)
  152. 1185年日本政治・国家守護・地頭の設置

    源頼朝が全国に守護と地頭を置くことを認められた。武家が土地の支配に関わる仕組みが始まった。

    場所
    日本全国
  153. 1187年西アジア・中東戦争・紛争ヒッティーンの戦い

    サラーフッディーン率いるアイユーブ朝軍が十字軍を破り、イェルサレムがアイユーブ朝の支配下に入った。

    背景
    十字軍側が水を得にくい地形へ誘い出された。
    帰結
    イェルサレムの奪回を目的として第3回十字軍が編成された。
    場所
    ヒッティーンの角
  154. 1189年〜1192年ヨーロッパ戦争・紛争第3回十字軍

    イェルサレム奪回に至らず、巡礼の保証で講和した。

    場所
    アッコ
  155. 1192年日本政治・国家諸説あり鎌倉幕府の成立

    日本で武家による全国的な統治機構が置かれた。成立年は1185年説と1192年説がある。

    場所
    鎌倉(神奈川)
    出典
    山川出版社の教材では、守護・地頭の設置(1185年)を成立とする説と、源頼朝の征夷大将軍任官(1192年)を成立とする説が併記されている
  156. 1198年〜1216年ヨーロッパ宗教・思想インノケンティウス3世の教皇在位

    教皇権が最も強大とされた時期。

    場所
    ローマ
  157. 1200年アフリカ文化・芸術およそラリベラの岩窟教会群

    エチオピア。岩盤を掘り下げて造られた教会群。造営年代には幅がある。

    場所
    ラリベラ
    出典
    UNESCO世界遺産「Rock-Hewn Churches, Lalibela」
  158. 1200年〜1500年オセアニア政治・国家およそトゥイ・トンガの海域

    トンガを中心に、周辺の島々と婚姻・貢納・交易で結ばれた関係が広がった。

    背景
    外洋航海のカヌーで島々を往来する関係が続いていた。
    帰結
    トンガを中心に婚姻・貢納・交易の結びつきが広がり、フィジーやサモアにも及んだ。
    場所
    トンガ
  159. 1200年〜1600年オセアニア政治・国家およそナン・マドールの造営

    ミクロネシア・ポンペイ島。玄武岩の柱を積んだ人工島群が築かれた。

    背景
    ポンペイ島の礁湖に、玄武岩の柱を運び込む技術と労働力があった。
    帰結
    約100の人工島に居館と墓所が築かれ、シャウテレウル朝の中心となった。
    場所
    ナン・マドール
    出典
    UNESCO世界遺産「Nan Madol: Ceremonial Centre of Eastern Micronesia」
  160. 1200年〜1400年日本経済・交易およそ二毛作の広まり

    西日本を中心に、米と麦を同じ田で作る方式が広がった。

    場所
    西日本
  161. 1200年〜1400年日本経済・交易およそ定期市の成立

    寺社の門前や交通の要地で月に数回の市が開かれ、貨幣の使用が広がった。

    場所
    日本全国
  162. 1204年ヨーロッパ戦争・紛争第4回十字軍によるコンスタンティノープル占領

    十字軍とヴェネツィアが市を占領・掠奪してラテン帝国を立て、東ローマ帝国は一時中断した。

    背景
    ヴェネツィアが輸送を担い、その債務の返済が遠征の経路を左右した。
    帰結
    東ローマ帝国は1261年に復するが国力を回復せず、オスマン帝国の進出につながった。
    場所
    イスタンブール
  163. 1206年〜1368年世界規模経済・交易およそモンゴル帝国期のユーラシア交易網

    陸路の東西交通が一時的に安定した時期。

    背景
    駅伝制により長距離の移動と通信が保証された。
    帰結
    東西の使節・商人・宣教師が往来し、疫病も同じ経路で広がった。
    場所
    ユーラシア
  164. 1206年東アジア政治・国家モンゴル帝国の成立

    テムジンがチンギス・ハンとして即位。

    背景
    草原の諸部族が統合され、騎馬と機動力を軸とする軍が編成された。
    帰結
    ユーラシアの東西を結ぶ交通が一時的に安定し、人・物・技術・疫病が広く移動した。
    場所
    オノン川(モンゴル高原)
    出典
    UNESCO世界遺産「Great Burkhan Khaldun Mountain and its surrounding sacred landscape」
  165. 1206年〜1526年南アジア・東南アジア政治・国家デリー・スルターン朝

    北インドで5つのイスラーム王朝が交替した。

    背景
    中央アジアからの軍事集団が北インドに定着した。
    帰結
    イスラームとインドの在来文化が接触し、建築と言語に混交が生じた。
    場所
    デリー
  166. 1215年ヨーロッパ政治・国家マグナ・カルタの承認

    イングランド。国王の課税権などに制約を定めた文書。

    背景
    対外戦争の失敗と課税に貴族が反発した。
    帰結
    国王も法に従うという原則の先例として、後世繰り返し参照された。
    場所
    ラニミード
    出典
    legislation.gov.uk「Magna Carta (1297)」(現行法令集に収録されているのは1297年にエドワード1世が再確認した版)
  167. 1221年日本戦争・紛争承久の乱

    後鳥羽上皇が挙兵して敗れた。幕府は京都に六波羅探題を置いた。

    場所
    京都
  168. 1227年〜1370年西アジア・中東政治・国家およそチャガタイ・ハン国

    中央アジアに置かれたモンゴルの政権。のち東西に分かれ、ティムール朝が興る素地となった。

    場所
    中央アジア
  169. 1230年〜1600年アフリカ政治・国家およそマリ王国

    ニジェール川流域。金の産出とトンブクトゥの学術で知られる。

    背景
    サハラ縦断交易の金の産地を押さえた。
    帰結
    トンブクトゥに学院が置かれ、西アフリカのイスラーム学術の中心となった。
    場所
    ニアニ(ギニア)
    出典
    UNESCO世界遺産「Timbuktu」
  170. 1232年日本政治・国家御成敗式目の制定

    北条泰時のもとで、武家の慣習をまとめた法が定められた。以後の武家法の基準となった。

    場所
    鎌倉(神奈川)
  171. 1238年〜1438年南アジア・東南アジア政治・国家スコータイ朝

    タイ族の王朝。タイ文字が作られたと伝えられる。

    場所
    スコータイ
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns」
  172. 1241年ヨーロッパ経済・交易およそハンザ同盟の形成

    北海・バルト海の交易都市が結んだ商業同盟。

    背景
    北海・バルト海で穀物・木材・毛皮・魚の交易が拡大していた。
    帰結
    都市が共同で航路と特権を守り、北ヨーロッパの経済圏が形成された。
    場所
    リューベック
  173. 1241年ヨーロッパ戦争・紛争ワールシュタットの戦い

    モンゴル軍がポーランド・ドイツ諸侯の連合軍を破り、東欧に到達した。

    場所
    レグニツァ(レグニツキェ・ポレ)
  174. 1243年〜1502年西アジア・中東政治・国家およそジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)

    南ロシア草原を中心とするモンゴルの政権。ルーシの諸公は貢納を通じて服属した。

    場所
    サライ(ヴォルガ下流)
  175. 1250年〜1517年アフリカ政治・国家マムルーク朝

    軍人奴隷出身の集団がエジプト・シリアを統治した。

    背景
    軍人奴隷として育成された集団が政権を掌握した。
    帰結
    モンゴル軍と十字軍の双方を退け、カイロがイスラーム世界の中心となった。
    場所
    カイロ
  176. 1250年オセアニア人類・社会およそポリネシア人のニュージーランド到達

    太平洋航海による最終段階の定住。

    背景
    星と海流を読む航海術で、太平洋の島々へ拡散していた。
    帰結
    人が居住した最後の大規模な陸地とされ、マオリの社会が形成された。
    場所
    ニュージーランド
    出典
    Wilmshurst, J. M. et al. "Dating the late prehistoric dispersal of Polynesians to New Zealand…" PNAS 105 (2008)
  177. 1251年東アジア文化・芸術高麗版大蔵経の完成

    モンゴルの侵攻のさなかに約8万枚の版木が彫られた。現存する。

    場所
    江華島
    出典
    UNESCO世界遺産「Haeinsa Temple Janggyeong Panjeon, the Depositories for the Tripitaka Koreana Woodblocks」
  178. 1258年西アジア・中東戦争・紛争バグダードの陥落

    モンゴル軍による占領。アッバース朝が滅亡した。

    背景
    アッバース朝は既に実権を失い、名目的な権威にとどまっていた。
    帰結
    バグダードのカリフ位は失われ、アッバース家のカリフはのちカイロで名目的に擁立された。イラクの農業と都市の衰退がこの前後に進んだ。
    場所
    バグダード
  179. 1260年西アジア・中東戦争・紛争アイン・ジャールートの戦い

    マムルーク朝がモンゴル軍の西進を止めた。

    場所
    アイン・ジャールート
  180. 1265年ヨーロッパ政治・国家イングランド議会の起源

    都市と州の代表が招集され、のちの議会制につながった。

    背景
    王権に対抗する貴族が支持基盤を広げようとした。
    帰結
    州と都市の代表が加わり、のちの二院制へ発展した。
    場所
    ロンドン
    出典
    UNESCO世界遺産「Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret's Church」
  181. 1270年〜1974年アフリカ政治・国家エチオピア・ソロモン朝

    20世紀まで続いた王朝。

    背景
    キリスト教を受け入れた王権が高原部に続いていた。
    帰結
    周辺のイスラーム勢力との抗争を経て、20世紀まで王朝が続いた。
    場所
    エチオピア
  182. 1271年〜1295年東アジア経済・交易マルコ・ポーロの旅行

    口述をまとめた『世界の記述』がヨーロッパに広く読まれた。

    背景
    モンゴル帝国下でユーラシアの通行が安定していた。
    帰結
    東方の富の記述がヨーロッパで広く読まれ、大航海時代の動機のひとつとなった。
    場所
    北京(大都)
  183. 1271年〜1368年東アジア政治・国家元

    モンゴル帝国の東方部が中国全土を統治した。

    背景
    モンゴル帝国の東方部が南宋を滅ぼし、中国全土を統治下に置いた。
    帰結
    ユーラシアの陸海の交通が結ばれ、ヨーロッパから中国へ至る旅行者の記録が残された。
    場所
    北京(大都)
  184. 1273年ヨーロッパ政治・国家ハプスブルク家からの皇帝選出

    ルドルフ1世が選出された。帝位は以後も他家との間を往復し、この家門がほぼ恒常的に占めるのは1438年以降である。

    場所
    フランクフルト・アム・マイン
  185. 1274年〜1281年東アジア戦争・紛争文永・弘安の役

    元・高麗の軍が日本へ二度渡海した。

    場所
    博多湾
  186. 1279年東アジア政治・国家南宋の滅亡

    崖山の戦いで宋の残存勢力が壊滅した。

    背景
    モンゴルが四川と江南へ複数の方面から侵攻した。
    帰結
    中国全土が初めて非漢族の王朝の統治下に入った。
    場所
    江門(崖山)
  187. 1293年〜1527年南アジア・東南アジア政治・国家マジャパヒト王国

    ジャワ島を中心とする海上交易国家。

    背景
    香辛料の集散地としてジャワが要衝となっていた。
    帰結
    版図の範囲は史料の解釈により幅があるが、後世の国家像に参照された。
    場所
    トロウラン
  188. 1297年日本経済・交易永仁の徳政令

    御家人の売却地の取り戻しを認めたが、混乱を招いたとして翌年に一部が撤回された。

    場所
    鎌倉(神奈川)
  189. 1299年〜1922年西アジア・中東政治・国家およそオスマン帝国

    建国年は伝承的で1300年前後とされる。アナトリア西部の小勢力から、三大陸にまたがる帝国となった。

    背景
    セルジューク朝の衰退後、アナトリアには多数の小勢力が並立していた。
    帰結
    1453年にコンスタンティノープルを占領し、以後450年余りにわたり西アジア・バルカン・北アフリカを統治した。
    場所
    イスタンブル
  190. 1300年アフリカ経済・交易およそキルワとソファラの金交易

    東アフリカ沿岸の港市が、内陸の金をインド洋交易へ結びつけた。

    場所
    キルワ・キシワニ
    出典
    UNESCO世界遺産「Ruins of Kilwa Kisiwani and Ruins of Songo Mnara」
  191. 1300年〜1800年アフリカ経済・交易およそハウサ諸都市

    西アフリカ内陸。城壁を備えた都市が並立し、交易と手工業で結ばれた。

    場所
    ハウサランド
  192. 1300年〜1897年アフリカ政治・国家およそベニン王国

    西アフリカ。真鍮の飾板と彫刻で知られる。

    背景
    ニジェール川下流域で、鋳造と彫刻の技術が受け継がれていた。
    帰結
    真鍮の飾板や頭像が王宮を飾ったが、1897年にイギリスの遠征隊が王都を占領して数千点を持ち去った。
    場所
    ベニンシティ
  193. 1302年ヨーロッパ政治・国家フランス三部会の招集

    身分別の代表が課税などを協議する場となった。

    場所
    パリ
  194. 1305年ヨーロッパ文化・芸術およそジョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画

    立体感と感情表現を伴う描写が現れた。

    場所
    パドヴァ(スクロヴェーニ礼拝堂)
  195. 1309年〜1377年ヨーロッパ宗教・思想教皇のアヴィニョン移座

    教皇庁が70年間フランス南部に置かれた。

    背景
    フランス王と教皇の対立の結果、教皇庁が移された。
    帰結
    教皇の権威が国王権力に従属したとみなされ、教会大分裂につながった。
    場所
    アヴィニョン
  196. 1321年ヨーロッパ文化・芸術ダンテ『神曲』

    トスカナ語で書かれ、イタリア語の基礎となった。

    背景
    ラテン語ではなく日常の言葉で書かれた。
    帰結
    トスカナ語が文学語として確立し、のちのイタリア語の標準となった。
    場所
    フィレンツェ
  197. 1324年アフリカ経済・交易マリ王国のマンサ・ムーサによるメッカ巡礼

    西アフリカの金と地中海世界の交易関係を示す記録が残る。

    背景
    西アフリカの金の産出量が突出していた。
    帰結
    経路のカイロで金相場が下落したと記録され、西アフリカの富が地中海に知られた。
    場所
    メッカ
  198. 1325年〜1354年アフリカ経済・交易イブン・バットゥータの旅行

    西アフリカから中国まで巡り、『三大陸周遊記』を残した。

    背景
    イスラーム圏が広域に及び、共通の言語と法で移動できた。
    帰結
    西アフリカから中国までの見聞が記録され、14世紀の各地の様子を伝える資料となった。
    場所
    タンジール(出発地)
  199. 1333年日本政治・国家鎌倉幕府の滅亡

    足利高氏が六波羅探題を落とし、新田義貞が鎌倉を攻めて北条氏が滅んだ。

    場所
    鎌倉(神奈川)
  200. 1333年〜1336年日本政治・国家建武の新政

    後醍醐天皇による親政。武士の不満が強まり、3年ほどで崩れた。

    場所
    京都
  201. 1336年〜1392年日本政治・国家南北朝の内乱

    京都の朝廷と吉野の朝廷が並び立ち、各地で戦いが続いた。

    背景
    建武の新政が崩れ、足利尊氏と後醍醐天皇が対立していた。
    帰結
    1392年に合一したが、その間に守護の権限が拡大した。
    場所
    吉野(奈良県)
  202. 1337年〜1453年ヨーロッパ戦争・紛争百年戦争

    イングランドとフランスが断続的に戦った。

    背景
    フランス王位の継承権と、毛織物産地フランドルの支配をめぐる対立が重なった。
    帰結
    両国で常備軍と課税制度が整えられ、王権のもとに国民という意識が形づくられた。
    場所
    フランス
  203. 1338年〜1573年日本政治・国家室町幕府

    足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に幕府を開いた。

    背景
    守護に軍事と徴税の権限が与えられ、地域の支配者としての力を強めていた。
    帰結
    将軍の権威は応仁の乱ののち弱まり、戦国大名の分立に移った。
    場所
    京都
  204. 1347年〜1351年ヨーロッパ災害・疫病ペストの大流行(黒死病)

    ユーラシア西部で人口が大幅に減少した。

    背景
    モンゴル帝国期に活発化した交易路を通じて西方へ広がったとされる。
    帰結
    ヨーロッパの人口が大きく減り、西欧では労働力の不足を背景に賦役の金納化が進んだ一方、東欧では領主による農民支配が強まったとされる。
    場所
    ヨーロッパ
    出典
    Bos, K. I. et al. "A draft genome of Yersinia pestis from victims of the Black Death." Nature 478 (2011)
  205. 1350年〜1590年日本戦争・紛争およそ倭寇

    東シナ海で活動した集団。前期は日本人が多く、後期は中国人が多かったとされる。

    場所
    東シナ海
  206. 1351年〜1366年東アジア戦争・紛争紅巾の乱

    元末の宗教結社を基盤とする反乱。朱元璋が台頭した。

    場所
    潁州(安徽省阜陽)
  207. 1351年〜1767年南アジア・東南アジア政治・国家アユタヤ朝

    チャオプラヤ川流域の交易国家。

    背景
    チャオプラヤ川の水運と海に近い立地を活かした。
    帰結
    中国・インド・ヨーロッパの商人が集まり、日本町も置かれた。
    場所
    アユタヤ
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic City of Ayutthaya」
  208. 1358年ヨーロッパ戦争・紛争ジャックリーの乱

    戦乱と課税に対するフランスの農民反乱。

    場所
    ボーヴェ
  209. 1368年〜1644年東アジア政治・国家明

    15世紀前半に鄭和の艦隊がインド洋へ派遣された。

    背景
    元末の混乱のなかで、農民出身の朱元璋が台頭した。
    帰結
    海禁と朝貢を基本としたが、後期には銀の流入で交易が活発化した。
    場所
    北京
  210. 1370年〜1507年西アジア・中東政治・国家ティムール朝

    中央アジアに成立し、サマルカンドが学術と美術の中心となった。

    背景
    モンゴル帝国の後継を称し、中央アジアから西アジアへ遠征した。
    帰結
    サマルカンドに建築と天文台が整えられ、ペルシア語文化が発展した。
    場所
    サマルカンド
    出典
    UNESCO世界遺産「Samarkand – Crossroad of Cultures」
  211. 1377年東アジア科学・技術金属活字による『直指心体要節』の印刷

    現存する金属活字本として最古とされる。グーテンベルクより約70年早い。

    場所
    清州
  212. 1377年アフリカ文化・芸術イブン・ハルドゥーン『歴史序説』

    王朝の興亡を集団の連帯という観点から分析した。

    背景
    諸王朝の興亡を実地に経験した官僚の立場から書かれた。
    帰結
    集団の連帯意識という概念で歴史を分析し、社会科学の先駆とされる。
    場所
    フレンダ近郊(アルジェリア)
  213. 1378年〜1417年ヨーロッパ宗教・思想教会大分裂

    複数の教皇が並立し、教皇の権威が低下した。

    背景
    アヴィニョン移座の後、ローマとアヴィニョンの双方で教皇が立てられた。
    帰結
    教皇の権威が低下し、公会議や各国の教会に主導権を求める動きが強まった。
    場所
    アヴィニョン
  214. 1381年ヨーロッパ戦争・紛争ワット・タイラーの乱

    人頭税に反対するイングランドの農民反乱。

    場所
    ロンドン
  215. 1390年〜1665年アフリカ政治・国家およそコンゴ王国

    中部アフリカ西岸。15世紀末にポルトガルと接触し、王がキリスト教を受け入れた。

    背景
    大西洋岸と内陸を結ぶ河川交通の要地にあった。
    帰結
    ポルトガルとの関係のなかで王がキリスト教を受け入れたが、ポルトガル商人が多数の人びとを奴隷として大西洋へ送り出すようになり、王権の内部対立とも結びついた。
    場所
    ンバンザ・コンゴ
  216. 1392年〜1897年東アジア政治・国家朝鮮王朝の成立

    李成桂が高麗に代わって建てた王朝。500年余り存続した。

    背景
    高麗末期の政治的混乱と、明との関係の再編があった。
    帰結
    1897年に国号を大韓帝国と改め、1910年に日本に併合された。
    場所
    ソウル(漢城)
    出典
    UNESCO世界遺産「Changdeokgung Palace Complex」
  217. 1397年ヨーロッパ政治・国家カルマル同盟

    デンマーク・ノルウェー・スウェーデンが同君連合を結んだ。

    場所
    カルマル
  218. 1397年日本文化・芸術金閣の造営(北山文化)

    足利義満が北山に建てた。公家と武家の文化が混じった様式を示す。

    場所
    金閣寺(京都)
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities)」
  219. 1400年〜1511年南アジア・東南アジア経済・交易およそマラッカ王国

    マラッカ海峡の中継貿易で栄え、東南アジアのイスラーム化の拠点となった。

    背景
    マラッカ海峡は季節風の切り替え点にあたり、東西の船が待機する場所だった。
    帰結
    イスラームが東南アジアの港市に広がる拠点となり、1511年のポルトガル占領後は交易の中心が分散した。
    場所
    マラッカ
    出典
    UNESCO世界遺産「Melaka and George Town, Historic Cities of the Straits of Malacca(登録範囲は主に植民地期以降の市街)」
  220. 1400年南北アメリカ科学・技術およそキープの使用

    アンデス。結び目の位置と形で数量などを記録する紐の束。インカの行政で用いられた。

    場所
    アンデス
  221. 1400年オセアニア経済・交易およそヤップの石貨

    ミクロネシア。パラオなどから運んだ石灰岩の円盤が交換の媒介として用いられた。使用の開始年代は特定が難しい。

    場所
    ヤップ島
  222. 1400年〜1500年日本人類・社会およそ惣村の成立

    村が自ら掟を定め、灌漑や入会を共同で管理する仕組みが広がった。

    場所
    近畿地方
  223. 1402年西アジア・中東戦争・紛争アンカラの戦い

    オスマン軍がティムール軍に敗れ、一時的に分裂した。

    場所
    アンカラ
  224. 1404年日本経済・交易勘合貿易の開始

    足利義満のもとで明との貿易が始まった。倭寇と区別するため勘合が用いられた。

    場所
    京都
  225. 1405年〜1433年東アジア経済・交易鄭和の南海遠征

    大型船団が七次にわたりインド洋・東アフリカへ航海した。

    背景
    永楽帝の命により、明が国家事業として大船団を編成した。
    帰結
    朝貢関係が東南アジア・インド洋沿岸に広がった。遠征は7回で打ち切られ、その理由には財政負担、北方防衛の優先、官僚層の反対など複数の説がある。以後の航海は民間に委ねられた。
    場所
    インド洋
  226. 1405年南アジア・東南アジア宗教・思想およそスールー王国の成立

    フィリピン南部。東南アジア島嶼部のイスラーム化を示す政体のひとつ。建国年には1405年説と1457年頃とする説がある。

    場所
    ホロ島(スールー)
  227. 1414年〜1418年ヨーロッパ宗教・思想コンスタンツ公会議

    教会大分裂を収拾し、フスを異端として処刑した。

    場所
    コンスタンツ
  228. 1415年アフリカ戦争・紛争ポルトガルのセウタ攻略

    北アフリカの港市を占領し、以後の航海事業の起点となった。

    場所
    セウタ
  229. 1419年〜1460年アフリカ経済・交易およそエンリケの航海事業

    ポルトガルがアフリカ西岸の探検を組織的に進めた。

    背景
    金と香辛料の産地へイスラーム圏を経ずに到達する経路が求められた。
    帰結
    カラベル船と航海術が蓄積され、喜望峰回りのインド航路につながった。同じ航海のなかで1440年代からポルトガル船が西アフリカの人びとを捕らえ、または買い取ってヨーロッパへ運び始めた。
    場所
    サグレス(ポルトガル)
  230. 1421年東アジア政治・国家明の北京遷都

    北方防衛を重視し、都を南京から移した。

    場所
    北京
    出典
    UNESCO世界遺産「Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang」
  231. 1428年南北アメリカ政治・国家アステカ三国同盟の成立

    メキシコ中央高原。テノチティトランを中心とする連合。

    背景
    メキシコ中央高原の諸都市が抗争していた。
    帰結
    征服した都市から貢納を集める仕組みが整えられた。
    場所
    テノチティトラン(メキシコ市)
  232. 1428年日本人類・社会正長の土一揆

    近江の馬借の蜂起から広がり、徳政を求めて京都周辺に及んだ。

    場所
    大津(滋賀・坂本)
  233. 1429年ヨーロッパ戦争・紛争オルレアンの解放

    ジャンヌ・ダルクが参加し、百年戦争の情勢が転換した。

    背景
    フランス側は主要都市を失い劣勢にあった。
    帰結
    戦況が転換し、シャルル7世の戴冠を経てフランスが優位に立った。
    場所
    オルレアン
  234. 1429年〜1879年日本政治・国家琉球王国

    尚巴志が三山を統一した。中継貿易で栄え、1609年に薩摩の支配を受けた。

    背景
    東アジアと東南アジアを結ぶ航路の要にあった。
    帰結
    1879年に沖縄県が置かれ、王国は終わった。
    場所
    沖縄
    出典
    UNESCO世界遺産「Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu」
  235. 1430年〜1760年アフリカ政治・国家およそムタパ王国

    ザンベジ川以南。大ジンバブエの後を受け、金と象牙の交易に関わった。

    背景
    大ジンバブエの後を受け、ザンベジ川流域の金と象牙を押さえた。
    帰結
    ポルトガルの商人と宣教師が内陸に入り、17世紀以降その影響下に置かれた。
    場所
    ジンバブエ
  236. 1434年〜1494年ヨーロッパ経済・交易メディチ家のフィレンツェ支配

    銀行業で蓄えた富が芸術と学問の後援に向けられた。

    背景
    毛織物業と銀行業で富を蓄え、教皇庁の財務も扱った。
    帰結
    芸術家と人文学者への後援が集中し、フィレンツェがルネサンスの中心となった。
    場所
    フィレンツェ
  237. 1436年ヨーロッパ文化・芸術サンタ・マリア・デル・フィオーレのドーム完成

    ブルネレスキが古代の工法を研究して架構した。

    背景
    支保工なしで大ドームを架ける方法が課題だった。
    帰結
    二重殻構造と魚骨状の煉瓦積みで解決され、ルネサンス建築の象徴となった。
    場所
    フィレンツェ大聖堂
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Centre of Florence」
  238. 1438年〜1533年南北アメリカ政治・国家およそインカ帝国の拡大期

    アンデス一帯に道路網と行政制度が整備された。

    背景
    アンデスの縦に長い地形を、道路網と倉庫で結んだ。
    帰結
    文字を持たず、キープと呼ばれる結縄で記録と管理を行った。
    場所
    クスコ
  239. 1446年東アジア文化・芸術訓民正音の公布

    朝鮮で独自の表音文字(のちのハングル)が公布された。

    背景
    漢字は習得の負担が大きく、民衆が意思を文字で表しにくい状態にあった。
    帰結
    当初は公文書では漢文が用いられ続けたが、19世紀末以降に公的な文字として広がった。
    場所
    ソウル(漢城)
  240. 1449年東アジア戦争・紛争土木の変

    明の皇帝がオイラトに捕らえられた。

    場所
    土木堡(河北省懐来)
  241. 1450年ヨーロッパ科学・技術およそグーテンベルクの活版印刷術

    金属活字と印刷機による量産技術。

    背景
    製紙法が中国から西アジアを経て伝わり、紙が入手しやすくなっていた。
    帰結
    書物の複製費用が下がり、宗教改革や科学の議論が短期間で広域に伝わった。
    場所
    マインツ
  242. 1450年南北アメリカ文化・芸術およそマチュ・ピチュの造営

    アンデスの尾根上に、段々畑と水路を備えた施設が築かれた。

    背景
    インカの拡大期にあたり、皇帝の離宮として築かれたとする説が有力とされる。
    帰結
    スペインによる征服後に大規模な使用は途絶えたが、周辺の住民には知られており、1911年にビンガムが調査したことで広く知られるようになった。
    場所
    マチュ・ピチュ
    出典
    UNESCO World Heritage Centre「Historic Sanctuary of Machu Picchu」
  243. 1453年ヨーロッパ戦争・紛争コンスタンティノープルの陥落

    オスマン帝国による占領。東ローマ帝国が滅亡した。

    背景
    14世紀以降オスマン帝国がバルカン半島へ進出し、市は周囲を囲まれた状態が続いていた。大型砲による攻城が行われた。
    帰結
    東地中海の交易路がオスマン帝国の管理下に入り、ギリシア語文献を携えた学者がイタリアへ移った。
    場所
    イスタンブール
  244. 1455年〜1485年ヨーロッパ戦争・紛争ばら戦争

    イングランドの王位をめぐる内戦。

    場所
    イングランド
  245. 1457年日本戦争・紛争コシャマインの戦い

    蝦夷地でアイヌが和人と戦った。以後も衝突が続いた。

    場所
    函館周辺(北海道)
  246. 1464年〜1591年アフリカ政治・国家ソンガイ王国

    マリ王国に代わりニジェール川流域を支配した。

    背景
    マリ王国の衰退後、ニジェール川中流域から勢力を広げた。
    帰結
    トンブクトゥとジェンネが学術と交易の中心として栄えた。
    場所
    ガオ(マリ)
  247. 1467年〜1477年日本戦争・紛争応仁の乱

    将軍家と管領家の家督をめぐる争いに、細川勝元と山名宗全の対立が絡んで京都で戦われた。以後、各地で領主が割拠した。

    場所
    京都
  248. 1467年〜1590年日本政治・国家およそ戦国大名の分立

    守護や守護代、国人から各地に大名が現れ、分国法を定めて領国を治めた。

    背景
    応仁の乱ののち、将軍と守護の権威が失われていた。
    帰結
    検地と城下町の整備が進み、のちの統一政権の土台となった。
    場所
    日本全国
  249. 1469年ヨーロッパ政治・国家カスティリャとアラゴンの合同

    カスティリャの王女イサベルとアラゴンの王子フェルナンドが結婚した。

    背景
    両王国は分立し、イベリア半島南部にはイスラーム政権が残っていた。
    帰結
    イサベルは1474年にカスティリャ王位を、フェルナンドは1479年にアラゴン王位を継ぎ、両王国の同君連合が成立した。
    場所
    バリャドリッド
  250. 1480年ヨーロッパ政治・国家ウグラ河の対峙とモスクワ大公国の自立

    モスクワ大公国とジョチ・ウルスの軍が対峙し、以後の貢納が途絶えた。

    場所
    ウグラ川
  251. 1485年〜1493年日本政治・国家山城の国一揆

    国人と農民が守護の軍を退去させ、8年にわたり自治を行った。

    場所
    宇治(京都)
  252. 1488年アフリカ経済・交易ディアスの喜望峰到達

    アフリカ南端を回る航路の見通しが得られた。

    背景
    アフリカ西岸の探検が半世紀にわたり続けられていた。
    帰結
    インドへの海路の見通しが立ち、10年後のガマの航海につながった。
    場所
    喜望峰
  253. 1488年〜1580年日本宗教・思想加賀の一向一揆

    本願寺の門徒が守護を退け、以後およそ90年にわたり加賀を治めた。

    場所
    加賀(石川)
  254. 1489年日本文化・芸術銀閣の造営(東山文化)

    足利義政が東山に建てた。書院造や茶の湯、水墨画が広がった。

    場所
    銀閣寺(京都)
    出典
    UNESCO世界遺産「Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities)」
  255. 1492年ヨーロッパ戦争・紛争グラナダの陥落

    イベリア半島のイスラーム政権が終わり、レコンキスタが完了した。

    背景
    カスティリャとアラゴンの合同で、キリスト教勢力の軍事力が集中した。
    帰結
    同じ年にコロンブスの航海が支援され、スペインが海外進出へ向かった。
    場所
    グラナダ
    出典
    UNESCO世界遺産「Alhambra, Generalife and Albayzín, Granada」
  256. 1492年南北アメリカ人類・社会コロンブスの大西洋横断航海

    以後、大陸間の人・作物・病原体の移動が本格化した。

    背景
    オスマン帝国の台頭を背景に、ポルトガルとスペインが海路でアジアへ至る経路を探していた。
    帰結
    大陸間で作物・家畜・病原体が移動し、アメリカ大陸の先住民人口が急激に減少した。
    場所
    サン・サルバドル島(バハマ)
  257. 1494年ヨーロッパ政治・国家トルデシリャス条約

    スペインとポルトガルが大西洋上の境界線で勢力範囲を分けた。

    背景
    コロンブスの帰還後、スペインとポルトガルの権益が競合した。
    帰結
    当事者以外の合意を欠いたまま境界が引かれ、ブラジルがポルトガル領となる根拠となった。
    場所
    トルデシリャス
  258. 1494年〜1559年ヨーロッパ戦争・紛争イタリア戦争

    フランスとハプスブルク家がイタリアをめぐって争った。

    背景
    イタリアの諸都市が分立し、周辺の大国が介入した。
    帰結
    フランスとハプスブルク家の対立が固定し、傭兵と火器の使用が広がった。
    場所
    イタリア
  259. 1498年南アジア・東南アジア経済・交易ヴァスコ・ダ・ガマのカリカット到達

    ヨーロッパとインドを結ぶ海路が開かれた。

    背景
    ポルトガルが半世紀にわたりアフリカ西岸の探検を進めていた。
    帰結
    香辛料が海路で直接運ばれるようになり、地中海経由の交易路の比重が下がった。
    場所
    カリカット(コーリコード)
  260. 1498年ヨーロッパ文化・芸術レオナルド「最後の晩餐」

    遠近法と人物配置を統合した壁画。

    場所
    ミラノ(サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会)

世界人口の推計(百万人)

1950年以前は研究者によって推計に幅があります。下限のみが示されている年もあります。

年推計(百万人)
500年190〜206
600年200〜206
700年207〜210
800年220〜224
900年226〜240
1000年254〜345
1100年301〜320
1200年360〜450
1250年400〜416
1300年360〜432
1340年443(下限のみ)
1400年350〜374