近世・近代(1500年〜1900年)
海路で大陸がつながり、機械による生産と鉄道・電信が広がり、国家の形が各地で組み替えられた400年。
この区間について
1500年から1900年までを扱います。収録は295件で、確定261件、およそ33件、諸説あり1件と、ほとんどの項目で年が特定できます。地域の内訳はヨーロッパ75件、日本75件、南北アメリカ38件、アフリカ27件、南アジア・東南アジア22件、東アジア22件、オセアニア20件、西アジア・中東10件、世界規模6件です。
大陸をまたぐ移動
1519年から1522年のマゼラン船団の世界周航の後、1500年から1700年の大陸間の作物・家畜の交換、1518年から1600年の感染症の南北アメリカへの伝播、1521年のアステカ王国の滅亡と1533年のインカ帝国の滅亡が収録されています。1545年のポトシ銀山の開発と1571年から1815年のマニラのガレオン貿易は銀の動きに、1600年から1800年の大西洋奴隷貿易の拡大期は人の強制的な移動に関わる項目です。
ユーラシアの帝国
西アジアではサファヴィー朝(1501年〜1736年)とオスマン帝国、南アジアではムガル帝国(1526年〜1858年)、東アジアでは明から清(1636年〜1912年)への移行が続きます。1683年の第2次ウィーン包囲、1699年のカルロヴィッツ条約、1757年の貿易港の広州一港限定、1839年からのタンジマートも、この区間の項目です。
ヨーロッパの政治と思想
1517年のルターの九十五か条の提題に始まる宗教改革、1618年から1648年の三十年戦争とウェストファリア条約、1642年からのイングランド内戦、1688年の名誉革命と1689年の権利の章典が前半に並びます。1789年からのフランス革命、1804年からのナポレオンの帝政、1814年のウィーン会議、1848年の革命が後半です。思想では『法の精神』『社会契約論』『国富論』『百科全書』、科学では『天球の回転について』『プリンキピア』『種の起源』を収録しています。
産業と技術
1760年から1840年の産業革命、1769年のワットの蒸気機関の改良、1825年の蒸気機関車の営業運転、1837年の電信の実用化、1866年の大西洋横断電信ケーブルの敷設、1869年の大陸横断鉄道の開通、1885年のガソリン自動車の製作を収録しています。1851年のロンドン万国博覧会も同じ流れの中の項目です。
独立と奴隷制の廃止
1776年のアメリカ独立宣言、1791年からのハイチ革命と1804年のハイチの独立、1810年から1826年のラテンアメリカ諸国の独立が続きます。奴隷制については、1833年のイギリスの奴隷制廃止法、1863年の奴隷解放宣言、1888年のブラジルの奴隷制廃止を収録しています。1861年から1865年のアメリカ南北戦争もこの区間です。
アジア・アフリカ・オセアニア
1839年からのアヘン戦争、1851年からの太平天国、1857年からのインド大反乱と1858年のムガル帝国の滅亡、1861年からの洋務運動、1894年からの日清戦争が並びます。アフリカでは1884年から1885年のベルリン会議、1885年からのコンゴ自由国、1896年のアドワの戦い、1899年からの南アフリカ戦争を収録しています。オセアニアでは1770年のクックのオーストラリア東岸到達、1788年の流刑植民の開始、1840年のワイタンギ条約、1893年のニュージーランドの女性参政権が項目です。
日本と、人口の推移
日本は75件で、1603年からの江戸幕府、1641年からの四つの口による対外関係、享保の改革、元禄・化政の文化、1853年のペリーの来航、1868年の明治維新、地租改正、自由民権運動、1880年から1910年の産業革命、条約改正を収録しています。世界人口の推計は、1500年が4億2500万〜5億4000万人、1700年が6億〜6億7900万人、1900年が15億5000万〜17億6200万人です。1950年以前の推計には研究者による幅があるため、年表では帯で示しています。
地域別の内訳
この時代の出来事(全295件)
年表に収録したこの区間の項目をすべて、年代の順に並べています。「およそ」「諸説あり」は年代の確かさを示します。出来事名を押すと、年表のその位置が開きます。
1500年〜1700年世界規模経済・交易およそ大陸間の作物・家畜の交換
トウモロコシ・ジャガイモ・トマトが旧大陸へ、コムギ・ウマ・ウシが新大陸へ広がった。
- 背景
- 大西洋航路の定期化により、大陸間で植物と動物が継続的に移動した。
- 帰結
- ジャガイモとトウモロコシがユーラシア・アフリカの人口増加を支え、ウマとウシがアメリカ大陸の生活を変えた。
- 場所
- 大西洋
- 出典
- Crosby, A. W. "The Columbian Exchange: Biological and Cultural Consequences of 1492" (1972)
1500年〜1876年西アジア・中東政治・国家およそブハラ・ヒヴァ・コーカンドの3ハン国
中央アジアに並立したウズベク系の政体。成立時期は政体ごとに異なり、コーカンドは18世紀初頭。1876年にコーカンドが併合され、ブハラとヒヴァは保護国として1920年まで存続した。
- 場所
- ブハラ(中央アジア)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Itchan Kala(ヒヴァ)」
1500年南北アメリカ人類・社会カブラルのブラジル到達
ポルトガルの艦隊がブラジル海岸に到達した。
- 背景
- インドへ向かう航路で大きく西に迂回した際に到達した。
- 帰結
- トルデシリャス条約の線の東側にあたるとされ、ポルトガルの領有の根拠となった。
- 場所
- ポルト・セグロ(ブラジル)
1500年オセアニア人類・社会およそチャタム諸島への到達
ニュージーランドから渡った集団が定住し、モリオリと呼ばれる社会を形づくった。
- 場所
- チャタム諸島
1501年〜1736年西アジア・中東政治・国家サファヴィー朝
シーア派を国家の宗教と定め、現在のイランの枠組みの基礎となった。
- 背景
- ティムール朝の分裂後、イラン高原に神秘主義教団を基盤とする勢力が台頭した。
- 帰結
- シーア派が国家の宗教と定められ、オスマン帝国との宗派的な対立が長く続いた。
- 場所
- イスファハーン
- 出典
- UNESCO世界遺産「Meidan Emam, Esfahan」
1502年南北アメリカ経済・交易およそエンコミエンダ制の導入
スペイン王権が入植者に、先住民の労働と貢納を徴収する権限を与えた。
- 背景
- 入植者に労働力を確保させる必要があった。
- 帰結
- 重い労役と疫病のもとで先住民人口が激減し、1542年の新法で制度が制限された。
- 場所
- イスパニョーラ島
1505年アフリカ戦争・紛争ポルトガルの東アフリカ沿岸進出
キルワとモンバサが攻撃され、沿岸の港市がポルトガルの影響下に入った。
- 場所
- モンバサ
1511年南アジア・東南アジア戦争・紛争ポルトガルによるマラッカ占領
ヨーロッパ勢力が東南アジアの交易路に拠点を得た。
- 背景
- 香辛料交易の結節点を押さえる目的があった。
- 帰結
- 交易の中心がアチェやバンテンなどへ分散し、東南アジアの港市が多極化した。
- 場所
- マラッカ
1513年南北アメリカ人類・社会バルボアの太平洋到達
パナマ地峡を越え、大西洋の西に別の大洋があることがヨーロッパ側に知られた。
- 場所
- パナマ地峡
1516年ヨーロッパ文化・芸術エラスムスの校訂新約聖書
ギリシア語原典に基づく校訂。各国語訳の基礎となった。
- 場所
- バーゼル
1517年西アジア・中東政治・国家オスマン帝国によるマムルーク朝征服
エジプトとシリア、聖地の管理権がオスマン帝国に移った。
- 背景
- 両者はシリアの支配をめぐり対立していた。
- 帰結
- メッカ・メディナの管理権を得て、オスマン帝国の権威が高まった。
- 場所
- カイロ
1517年ヨーロッパ宗教・思想ルターの九十五か条の提題
宗教改革の起点とされる。
- 背景
- 印刷術により、文書が短期間で広い範囲に伝わる条件が整っていた。
- 帰結
- 西ヨーロッパの教会が分立し、各国の君主が宗教を統治の枠組みに組み込むようになった。
- 場所
- ヴィッテンベルク
1518年〜1600年世界規模災害・疫病およそ感染症の南北アメリカへの伝播
天然痘・麻疹などが持ち込まれ、先住民の人口が大きく減少した。
- 背景
- 南北アメリカの人々は旧大陸の家畜由来の感染症に免疫を持たなかった。
- 帰結
- 地域により人口が数分の一に減り、労働力の不足が大西洋奴隷貿易の拡大につながった。
- 場所
- 南北アメリカ
- 出典
- Crosby, A. W. "The Columbian Exchange: Biological and Cultural Consequences of 1492" (1972)
1519年〜1522年世界規模人類・社会マゼラン船団の世界周航
地球を一周する航海が初めて完了した。
- 背景
- 香辛料諸島へ西回りで到達する経路が模索されていた。
- 帰結
- 地球が球体で連続した海に囲まれていることが実地に確かめられ、世界の地理像が一新された。
- 場所
- セビリア
1519年〜1556年ヨーロッパ政治・国家カール5世の治世
1516年にスペイン王位を、1519年に皇帝位を継ぎ、広大な領域を統治した。
- 場所
- 神聖ローマ帝国
1520年〜1566年西アジア・中東政治・国家スレイマン1世の治世
法整備が進み、領土が最大に近づいた。
- 背景
- 即位時に版図と財政の双方が安定していた。
- 帰結
- 法整備が進み、ウィーン包囲とプレヴェザの海戦で地中海へ進出した。
- 場所
- イスタンブル
1521年南北アメリカ戦争・紛争アステカ王国の滅亡
スペイン軍と現地の対抗勢力の連合、および疫病が重なった。
- 背景
- 周辺の従属都市が重い貢納に反発し、スペイン側に加わった。
- 帰結
- 天然痘などの疫病が同時に流行し、以後1世紀で先住民人口が大きく減少した。
- 場所
- テノチティトラン(メキシコ市)
1526年〜1858年南アジア・東南アジア政治・国家ムガル帝国の成立と存続
北インドを中心に統治機構が整備された。
- 背景
- 中央アジアから来たバーブルが北インドに侵入した。
- 帰結
- ペルシア語を公用語とし、インド・イスラーム文化が形成された。
- 場所
- デリー
1526年日本経済・交易石見銀山の開発
灰吹法の導入で産出が増え、16世紀の東アジアの銀の流れに加わった。
1529年南アジア・東南アジア政治・国家サラゴサ条約
スペインとポルトガルがモルッカ諸島方面の境界を定めた。
- 場所
- モルッカ諸島
1529年ヨーロッパ戦争・紛争第1次ウィーン包囲
オスマン帝国が中欧まで進出した。
- 背景
- ハンガリーを制圧した勢いで中欧へ進出した。
- 帰結
- 冬季の到来で撤退したが、ヨーロッパに強い緊張をもたらした。
- 場所
- ウィーン
1531年〜1752年南アジア・東南アジア政治・国家タウングー朝
ビルマを再統一した王朝。周辺への遠征を繰り返した。
- 場所
- タウングー
1533年南北アメリカ戦争・紛争インカ帝国の滅亡
内戦直後にスペイン軍が到達し、皇帝が処刑された。
- 背景
- 皇位継承をめぐる内戦の直後に、スペインの小部隊が到達した。
- 帰結
- スペインがアンデスの統治機構を解体し、1570年代には鉱山への賦役制度(ミタ)を整えた。
- 場所
- カハマルカ(ペルー)
1534年ヨーロッパ宗教・思想イングランド国教会の成立
国王至上法により国王が教会の首長とされた。
- 背景
- 国王の婚姻をめぐり教皇と対立した。
- 帰結
- 国王が修道院を解散させ、没収した土地が売却・分配されて有力者の手に渡った。
- 場所
- ロンドン
1535年南北アメリカ政治・国家ヌエバ・エスパーニャ副王領の設置
メキシコ市を中心に、国王の代理としての副王が置かれた。
- 背景
- 征服後の統治機構をスペイン本国の管理下に整える必要があった。
- 帰結
- 副王・アウディエンシア・カビルドからなる統治の枠組みが、以後3世紀にわたり用いられた。
- 場所
- メキシコ市
- 出典
- UNESCO世界遺産「Historic Centre of Mexico City and Xochimilco」
1536年〜1564年ヨーロッパ宗教・思想カルヴァンの改革
『キリスト教綱要』を刊行し、ジュネーヴで改革に着手した。1541年以降は市政を握り、教会規則にもとづく厳格な体制を敷いた。
- 背景
- ルターの改革が各地に波及していた。
- 帰結
- 商工業者に受け入れられ、各国へ広がった。勤労と蓄財を肯定する倫理が資本主義の形成に関わったとする議論が20世紀初頭に提起され、以後論争が続いている。
- 場所
- ジュネーヴ
1540年ヨーロッパ宗教・思想イエズス会の公認
教育と海外布教を通じてカトリックの立て直しを図った。
- 背景
- 宗教改革に対抗する組織的な活動が求められていた。
- 帰結
- 学校の設立とアジア・アメリカでの布教が進められた。
- 場所
- ローマ
1542年南北アメリカ人類・社会インディアス新法
スペイン王権が、先住民の使役とエンコミエンダの世襲を制限する法を定めた。入植者の反乱を受け、王権は1545年に一部を撤回した。
- 場所
- バルセロナ(公布地)
1542年南北アメリカ政治・国家ペルー副王領の設置
リマを中心に南アメリカの統治機構が置かれた。
- 場所
- リマ(ペルー)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Historic Centre of Lima」
1543年ヨーロッパ科学・技術コペルニクス『天球の回転について』刊行
太陽中心の天体模型を提示した。
- 背景
- 暦の改訂が課題とされ、当時の天体模型のあり方に議論があった。
- 帰結
- ガリレオ・ケプラーに引き継がれ、17世紀の科学革命の起点となった。
- 場所
- ニュルンベルク
1543年日本科学・技術諸説あり鉄砲の日本伝来
種子島への伝来。年代には1542年説もある。
- 場所
- 種子島(鹿児島)
- 出典
- 『鉄炮記』(1606年)は天文12年(1543年)とする。ポルトガル側史料には1542年とするものがある
1545年〜1563年ヨーロッパ宗教・思想トリエント公会議
カトリックの教義を再確認し、内部改革を決定した。
- 背景
- 宗派の分立に対し、教義の明確化が必要とされた。
- 帰結
- 教義は再確認する一方、聖職者の教育と規律が強化された。
- 場所
- トレント
1545年南北アメリカ経済・交易ポトシ銀山の開発
スペイン副王領が開発を進め、先住民の賦役労働で採掘された銀が世界的に流通した。
- 背景
- スペインが銀山の経営を組織し、1570年代には水銀アマルガム法とミタ制の賦役労働が導入された。
- 帰結
- 銀がヨーロッパとアジアへ大量に流入し、明の税制の銀納化や物価の変動と結びついた。
- 場所
- ポトシ(ボリビア)
- 出典
- UNESCO世界遺産「City of Potosí」
1547年ヨーロッパ政治・国家イヴァン4世の戴冠
モスクワ大公が「ツァーリ」を称した。
1549年日本宗教・思想キリスト教の日本伝来
フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した。
- 場所
- 鹿児島
1550年〜1700年南北アメリカ経済・交易およそブラジルの砂糖プランテーション
北東部でポルトガル人入植者が製糖業を拡大し、アフリカから連行した人びとを奴隷として使役した。
- 背景
- ポルトガルが大西洋の島々で用いていた製糖の方式が持ち込まれた。
- 帰結
- 大西洋奴隷貿易の主要な行き先のひとつとなり、17世紀後半にはカリブ海の島々が競合した。
- 場所
- ペルナンブコ(ブラジル北東部)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Historic Centre of Salvador de Bahia」
1550年〜1600年日本経済・交易およそ南蛮貿易
ポルトガル船やスペイン船との貿易。生糸・鉄砲・火薬が入り、銀が出た。
- 場所
- 長崎
1555年ヨーロッパ宗教・思想アウクスブルクの和議
諸侯が領内の宗派を選ぶ権利を認めた。個人の信仰選択は含まれない。
- 背景
- シュマルカルデン戦争を経て、宗派の並存を認める必要が生じていた。
- 帰結
- 選択権は諸侯に限られ、個人の信仰選択とカルヴァン派は対象外とされた。
- 場所
- アウクスブルク
1556年〜1605年南アジア・東南アジア政治・国家アクバルの治世
非イスラーム教徒への人頭税を廃し、統治機構を整えた。
- 背景
- ムガル帝国は少数のイスラーム支配層が多数のヒンドゥー教徒を統治する構造にあった。
- 帰結
- 官僚制と検地が整えられ、宗教を問わない登用が行われた。
- 場所
- アーグラ
- 出典
- UNESCO世界遺産「Fatehpur Sikri」
1557年東アジア経済・交易ポルトガルのマカオ居住権
明との交易の拠点となった。
- 場所
- マカオ
1558年〜1603年ヨーロッパ政治・国家エリザベス1世の治世
宗派対立を抑える国教会体制のもとで、海外進出と毛織物工業が伸びた。
- 背景
- 宗派対立と外交的孤立のなかで即位した。
- 帰結
- 国教会体制が定着し、東インド会社の設立と演劇の隆盛がこの時期にあたる。
- 場所
- ロンドン
1565年南アジア・東南アジア政治・国家スペインによるフィリピン統治の開始
レガスピの遠征により拠点が置かれた。
- 背景
- マニラが中国とアメリカ大陸を結ぶ位置にあった。
- 帰結
- ガレオン貿易の拠点となり、東南アジアでは数少ないカトリックが多数派の地域となった。
- 場所
- セブ
- 出典
- UNESCO世界遺産「Baroque Churches of the Philippines」
1568年〜1648年ヨーロッパ戦争・紛争オランダ独立戦争
スペインからの独立を求めた戦い。1648年に承認された。
- 背景
- 宗教政策と重税に北部諸州が反発した。
- 帰結
- 独立後のオランダが海上交易と金融で17世紀の中心となった。
- 場所
- オランダ
1568年日本政治・国家織田信長の上洛
足利義昭を奉じて京都に入り、のち1573年に義昭を追放した。
- 場所
- 京都
1571年〜1815年南アジア・東南アジア経済・交易マニラのガレオン貿易
アメリカ大陸の銀とアジアの絹・陶磁器が太平洋を越えて交換された。
- 背景
- スペインがフィリピンを拠点とし、メキシコとの太平洋航路を開いた。
- 帰結
- アメリカ大陸の銀が大量に中国へ流入し、明・清の銀を基準とする税制と結びついた。
- 場所
- マニラ
1571年ヨーロッパ戦争・紛争レパントの海戦
スペイン・ヴェネツィア連合艦隊がオスマン艦隊を破った。
- 背景
- 地中海の制海権をめぐる対立が続いていた。
- 帰結
- ガレー船による大規模な海戦としては最後期のものとなった。
- 場所
- ナフパクトス(レパント)沖
1572年ヨーロッパ戦争・紛争サン・バルテルミの虐殺
フランスの宗教戦争のなかで、王室と結んだカトリック側がパリなどでユグノーを襲撃し、多数を殺害した。
- 場所
- パリ
1575年日本戦争・紛争長篠の戦い
織田・徳川軍が武田軍を破った。鉄砲が大量に用いられた戦いとして知られる。
- 場所
- 新城(愛知・設楽原)
1576年日本文化・芸術安土城の築城
石垣と天主を備えた城。以後の城郭の様式に影響を与えた。
- 場所
- 安土(滋賀)
1577年日本経済・交易楽市・楽座
織田信長が安土の城下に出した令。座の特権を認めず、自由な商いを認めた。楽市令は1549年の六角氏の例が早く、信長も1567年に美濃加納で出している。
- 場所
- 安土(滋賀)
1580年〜1640年ヨーロッパ政治・国家スペインによるポルトガル併合
両国の海外拠点が一時的に一つの王のもとに置かれた。
- 場所
- ポルトガル
1581年東アジア経済・交易およそ一条鞭法の普及
諸税と労役を銀に一本化して納める方式。
- 背景
- 銀の流入により、現物と労役の徴収が非効率になっていた。
- 帰結
- 税の銀納化が進み、中国経済が世界の銀の流通と直結した。
- 場所
- 北京
1582年ヨーロッパ政治・国家イェルマークのシベリア進出
コサックの部隊がウラル山脈を越え、シビル・ハン国の拠点を攻めた。以後ロシアの東進が続いた。
- 場所
- トボリスク
1582年日本政治・国家本能寺の変
明智光秀が織田信長を討った。まもなく羽柴秀吉が光秀を破った。
- 場所
- 京都(本能寺)
1582年〜1590年日本人類・社会天正遣欧使節
キリシタン大名が少年4人をローマへ送った。帰国時には禁教が始まっていた。
- 場所
- 長崎
1582年〜1598年日本経済・交易太閤検地
全国の田畑を同じ基準で測り、石高で表した。
- 背景
- 地域ごとに異なる枡と単位が用いられ、年貢の基準が定まっていなかった。
- 帰結
- 土地ごとに耕作者を定め、荘園の重層的な権利が整理された。
- 場所
- 日本全国
1585年〜1889年アフリカ政治・国家およそルバ王国
中部アフリカ内陸。銅と塩の交易に関わった。
- 場所
- ウペンバ低地
1588年ヨーロッパ戦争・紛争アルマダの海戦
イングランドがスペイン艦隊を退けた。
- 背景
- オランダ独立への支援と私掠が対立の背景にあった。
- 帰結
- スペインの海上優位が揺らぎ、イングランドの海外進出が進んだ。
- 場所
- グラヴリーヌ沖
1588年日本人類・社会刀狩令
大仏の造立を名目に、百姓の刀や鉄砲の所持を禁じた。身分の区別を示す政策とされる。
- 場所
- 日本全国
1590年日本政治・国家豊臣秀吉の全国統一
小田原の後北条氏を降し、続いて奥州の諸大名を服属させた。
- 場所
- 小田原(神奈川)
1591年アフリカ戦争・紛争ソンガイ王国の滅亡
モロッコ軍の遠征により崩壊した。
- 場所
- ガオ
1592年東アジア科学・技術亀甲船の投入
文禄の役で朝鮮水軍が用いた装甲軍船。
- 場所
- 泗川(慶尚南道)
1592年〜1598年東アジア戦争・紛争文禄・慶長の役
日本が朝鮮に出兵し、明が援軍を送った。
- 場所
- 朝鮮半島
1598年ヨーロッパ宗教・思想ナントの王令
フランスでユグノーに、指定された都市での礼拝と公職就任などの権利が認められた。
- 背景
- 30年以上続いた宗教戦争を終わらせる必要があった。
- 帰結
- 国内の分裂が収まり、王権の再建が進んだが、1685年に廃止された。
- 場所
- ナント
1600年〜1800年世界規模経済・交易およそ大西洋奴隷貿易の拡大期
この期間に最も多くの人々がアフリカから南北アメリカへ強制的に移送された。
- 背景
- アメリカ大陸の先住民人口が急減し、砂糖・タバコの農園で労働力が不足していた。
- 帰結
- この2世紀のあいだに推計800万人以上が強制的に移送され(全期間では約1250万人)、西アフリカの社会と南北アメリカの人口構成が大きく変わった。
- 場所
- 大西洋
- 出典
- SlaveVoyages, The Trans-Atlantic Slave Trade Database — 航海記録に基づく移送者数の推計
1600年南アジア・東南アジア経済・交易イギリス東インド会社の設立
アジア交易の独占権を与えられた特許会社。
- 背景
- 香辛料交易への参入を目指した。
- 帰結
- のちに軍事力と徴税権を持ち、インド統治の実体となった。
- 場所
- ロンドン
1600年〜1836年アフリカ政治・国家およそオヨ王国
西アフリカ内陸の王国。騎兵を備え、沿岸の交易を仲介した。
- 背景
- 大西洋岸と内陸を結ぶ位置にあり、騎兵を備えていた。
- 帰結
- 18世紀に周辺を広く従えたが、19世紀に内紛と周辺勢力の圧力で解体した。
- 場所
- オヨ
1600年〜1887年アフリカ政治・国家およそルンダ王国
中部アフリカ内陸。ルバの制度を取り入れ、広域の首長を束ねた。
- 場所
- ルンダ地方(アンゴラ北東部)
1600年〜1894年アフリカ政治・国家およそダホメ王国
西アフリカ。常備の軍を備え、ウィダーなどの港でヨーロッパ商人との奴隷貿易に関わった。
- 背景
- 大西洋岸の交易港を押さえる位置にあった。
- 帰結
- 周辺を従えて勢力を広げたが、19世紀末にフランスの遠征により滅んだ。
- 場所
- アボメー
- 出典
- UNESCO世界遺産「Royal Palaces of Abomey」
1600年〜1894年アフリカ政治・国家およそブガンダ王国
ヴィクトリア湖北岸の王国。19世紀末にイギリスの保護領に組み込まれた。
- 背景
- ヴィクトリア湖北岸の農耕地帯で、王を中心とする官僚制が整えられていた。
- 帰結
- 19世紀に沿岸からの隊商と宣教師が到来し、1894年にイギリスの保護領に組み込まれた。
- 場所
- ブガンダ
- 出典
- UNESCO世界遺産「Tombs of Buganda Kings at Kasubi」
1600年日本戦争・紛争関ヶ原の戦い
徳川家康を中心とする東軍が、石田三成らの西軍を破った。以後、江戸幕府による統治が始まった。
- 場所
- 関ヶ原(岐阜)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Himeji-jo(同時期の城郭建築の代表例)」
1600年〜1700年日本経済・交易およそ新田開発と農業技術の進歩
大規模な用水と干拓で耕地が広がり、農具と肥料の改良が進んだ。
- 場所
- 日本全国
1601年〜1624年日本経済・交易およそ五街道と宿駅の整備
東海道など5つの街道に宿と伝馬の制度が置かれ、人と物と情報の往来が増えた。
- 場所
- 日本全国
1602年南アジア・東南アジア経済・交易オランダ東インド会社の設立
条約締結権と軍事力を持つ会社として設立された。
- 背景
- 複数の会社の競合を避けるため統合された。
- 帰結
- 株式と有限責任の仕組みを備え、近代的な会社組織の先駆とされる。
- 場所
- アムステルダム
1603年〜1868年日本政治・国家江戸幕府
徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた。
- 背景
- 関ヶ原の戦いで大名の勢力図が定まり、全国を統べる政権の条件が整っていた。
- 帰結
- 大名を統制する仕組みと身分の秩序のもとで、260年余り大きな内乱のない時代が続いた。
- 場所
- 江戸(東京)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Shrines and Temples of Nikko(徳川家康を祀る日光東照宮を含む)」
1607年南北アメリカ政治・国家ジェームズタウンの建設
イギリスによる北米最初の恒久的植民地。
- 場所
- ジェームズタウン(ヴァージニア州)
1608年南北アメリカ政治・国家ケベックの建設
フランスがセントローレンス川沿いに拠点を築き、毛皮交易の中心とした。
- 場所
- ケベック・シティ(カナダ)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Historic District of Old Québec」
1609年〜1610年ヨーロッパ科学・技術ガリレオの望遠鏡観測
1609年に望遠鏡を自作して月面の凹凸を観測し、翌1610年に木星の衛星を発見した。
- 背景
- オランダで発明された望遠鏡を自作し天体に向けた。
- 帰結
- 天体が完全な球ではないことが示され、地動説を支持する根拠となった。
- 場所
- パドヴァ
1609年〜1619年ヨーロッパ科学・技術ケプラーの惑星運動の法則
精密な観測データから楕円軌道を導いた。
- 場所
- プラハ
1615年日本政治・国家武家諸法度の制定
大名の居城や婚姻などを定めた。将軍の代替わりごとに出された。
- 場所
- 日本全国
1616年東アジア政治・国家後金の建国
ヌルハチが女真諸部を統合した。
- 背景
- 明の統制が緩むなかで女真の諸部が統合された。
- 帰結
- 1636年に国号を清と改め、のちに中国全土を統治した。
- 場所
- ヘトゥアラ(遼寧省新賓)
1618年〜1648年ヨーロッパ戦争・紛争三十年戦争
宗教対立に諸侯と諸国の利害が重なり、ドイツ各地が戦場となった。
- 背景
- アウクスブルクの和議はカルヴァン派を含まず、宗派の対立が残されていた。
- 帰結
- ウェストファリア条約で終結し、主権国家が並立する体制の出発点となった。ドイツの人口は大きく減少した。
- 場所
- ドイツ
1619年南アジア・東南アジア政治・国家バタヴィアの建設
オランダ東インド会社がジャヤカルタを攻略し、跡地に築いた。アジア交易の拠点となった。
- 場所
- バタヴィア(ジャカルタ)
1620年南北アメリカ人類・社会プリマスへの入植
メイフラワー号の一行が北米東岸に定住した。
- 場所
- プリマス(マサチューセッツ州)
1626年南北アメリカ政治・国家ニューアムステルダムの建設
オランダの交易拠点。のちニューヨークと改称された。
- 場所
- ニューヨーク(旧ニューアムステルダム)
1635年日本政治・国家参勤交代の制度化
大名に江戸と国元の往復を義務づけた。街道と宿場が整い、江戸に大名屋敷が並んだ。
- 場所
- 日本全国
1636年〜1912年東アジア政治・国家清
満洲族の王朝。18世紀に領域が最大となった。
- 背景
- 後金の皇太極が国号を清と改め、モンゴル・朝鮮を従えた。
- 帰結
- 18世紀に領域が最大となり、現在の中国の版図の原型となった。人口も急増した。
- 場所
- 北京
1636年〜1769年アフリカ政治・国家ゴンダール期のエチオピア
ゴンダールに都が置かれ、城郭と教会が築かれた。
1637年ヨーロッパ文化・芸術デカルト『方法序説』
疑いうるものを排して認識の基礎を求める方法を提示した。
- 背景
- スコラ学の権威に依らない知識の基礎が求められていた。
- 帰結
- フランス語で書かれ、以後の哲学と科学の方法論に影響した。
- 場所
- ライデン
1637年〜1638年日本戦争・紛争島原・天草一揆
重い年貢と禁教への抵抗が結びついた一揆。幕府は12万余の軍勢を送り、原城に籠城した約3万7千人はほぼ全員が死亡した。以後、禁教がいっそう強められた。
1639年日本経済・交易日本の対外貿易統制の完成
貿易相手と港が幕府の管理下に限定された。
- 場所
- 出島(長崎)
1641年〜1854年日本経済・交易四つの口による対外関係
長崎(オランダ・中国)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)の四つの窓口を通じて対外関係が保たれた。薩摩は1609年の侵攻以後に琉球王国を、松前藩は交易の独占を通じてアイヌとの関係を、それぞれ支配的な形で担った。
- 背景
- キリスト教の禁止と貿易の管理を両立させる仕組みが求められていた。
- 帰結
- 「鎖国」と呼ばれてきたが、限られた窓口を通じて人と物と情報は出入りしていた。
- 場所
- 長崎
1642年〜1649年ヨーロッパ戦争・紛争イングランド内戦
国王派と議会派が争い、議会派が勝利した。
- 背景
- 課税と宗教政策をめぐり国王と議会が対立した。
- 帰結
- 議会派が勝利し、課税と立法をめぐる議会の権限が強まる過程となった。
- 場所
- イングランド
1642年オセアニア人類・社会タスマンの航海
ヨーロッパ人によるタスマニア・ニュージーランドの記録が残された。
- 場所
- タスマニア
1644年東アジア政治・国家明の滅亡と清の北京入城
李自成の反乱で明が倒れ、清が入関した。
- 背景
- 財政難と飢饉により各地で反乱が起きていた。
- 帰結
- 清が明の制度の多くを継承し、漢人官僚を登用して統治した。
- 場所
- 北京
1648年ヨーロッパ政治・国家ウェストファリア条約
三十年戦争の終結。領邦の主権が条約上確認された。
- 背景
- 三十年戦争は宗教上の対立に諸侯と諸国の利害が重なり、長期化していた。
- 帰結
- 領邦や国家がそれぞれ対等な主権を持つという考え方が、以後の国際関係の前提となった。
- 場所
- ミュンスター
1649年ヨーロッパ政治・国家チャールズ1世の処刑
裁判を経て国王が処刑され、共和政が敷かれた。
- 背景
- 軍が議会から和平派を排除したのち、残った議会が特別法廷を設けて裁判を行った。
- 帰結
- 国王の処刑は前例がなく、ヨーロッパ諸国に衝撃を与えた。
- 場所
- ロンドン
1651年ヨーロッパ経済・交易航海法
イングランドの貿易を自国船に限る法。オランダとの戦争につながった。
- 場所
- ロンドン
1652年アフリカ政治・国家ケープ植民地の建設
オランダ東インド会社が、コイコイの人びとが放牧を営む地に補給地として設けた。入植地の拡大にともない放牧地が収用され、会社はアジアや東アフリカから連れてきた奴隷を労働に用いた。
- 場所
- ケープタウン
1657年日本災害・疫病明暦の大火
江戸の市街の大半が焼け、3万人以上が死亡したとされる(推計には幅がある)。以後、防火のための都市の改造が進んだ。
- 場所
- 江戸(東京)
1658年〜1707年南アジア・東南アジア政治・国家アウラングゼーブの治世
領土は最大となったが、人頭税の復活などで各地の反発が続いた。
- 背景
- 領土拡張のため南インドへの遠征を続けた。
- 帰結
- 財政が悪化し、宗教政策への反発とあわせて帝国の分裂が進んだ。
- 場所
- デリー
1661年〜1722年東アジア政治・国家康熙帝の治世
三藩の乱を鎮め、台湾を編入し、領域が拡大した。
- 背景
- 即位時は幼少で、三藩の乱など内乱が続いた。
- 帰結
- 版図が拡大し、『康熙字典』の編纂など文化事業も進められた。
- 場所
- 北京
1661年〜1715年ヨーロッパ政治・国家ルイ14世の親政
中央集権化と常備軍の拡充が進み、たびたび対外戦争を行った。
- 背景
- 宰相マザランの死後、自ら統治を行うと宣言した。
- 帰結
- ヴェルサイユ宮殿が造営され、絶対王政の典型とされたが財政は逼迫した。
- 場所
- ヴェルサイユ宮殿
- 出典
- UNESCO世界遺産「Palace and Park of Versailles」
1668年オセアニア政治・国家スペインによるマリアナ諸島の統治開始
宣教と守備隊の設置が始まった。以後の戦闘、グアムへの強制移住、持ち込まれた感染症により、チャモロの人口は17世紀後半の推計3〜6万人から18世紀前半には数千人規模まで減少した(推計には幅がある)。
- 場所
- マリアナ諸島
1669年日本戦争・紛争シャクシャインの戦い
松前藩との交易条件をめぐりアイヌが蜂起し、松前藩に鎮圧された。以後、松前藩による交易の支配が強まった。
- 背景
- 和人商人による交換比率の不利化が進んでいた。
- 場所
- 新ひだか(北海道・日高)
1670年南北アメリカ経済・交易ハドソン湾会社の設立
イギリスが特許会社を設け、北アメリカ北部の毛皮交易を担わせた。
- 場所
- ハドソン湾
1680年南北アメリカ戦争・紛争プエブロの反乱
現在のニューメキシコで、先住民がスペインの支配を12年間退けた。
- 場所
- サンタフェ(ニューメキシコ州)
1680年〜1709年日本政治・国家徳川綱吉の政治
学問を重んじる一方、生類憐みの令などの法度を出した。貨幣の改鋳も行われた。
- 場所
- 江戸(東京)
1683年ヨーロッパ戦争・紛争第2次ウィーン包囲
オスマン帝国が再びウィーンを包囲したが、二か月で撤退した。
- 背景
- ハンガリー支配をめぐる対立が再燃していた。
- 帰結
- ポーランド軍の来援で撃退され、以後オスマン帝国は守勢に転じた。
- 場所
- ウィーン
1685年ヨーロッパ宗教・思想ナントの王令の廃止
多数のユグノーが国外へ移り、周辺国の産業に加わった。
- 場所
- フォンテーヌブロー
1687年ヨーロッパ科学・技術ニュートン『プリンキピア』刊行
運動の法則と万有引力の記述。
- 背景
- ケプラーとガリレオの成果を統一する理論が求められていた。
- 帰結
- 天体と地上の運動が同じ法則で説明され、以後200年の物理学の基礎となった。
- 場所
- ロンドン
- 出典
- Isaac Newton, Philosophiae naturalis principia mathematica, Londini: Jussu Societatis Regiae ac Typis Josephi Streater, 1687(初版・題扉を差し替えた刷)— Internet Archive(マギル大学図書館オスラー医学史文庫蔵)
1688年〜1689年ヨーロッパ政治・国家名誉革命
議会が国王を交替させ、王権が議会に制約される体制が確立した。
- 背景
- チャールズ1世の処刑と共和政、王政復古を経ても、王権と議会の関係は定まっていなかった。
- 帰結
- 権利の章典により王権が議会に制約される体制が確立し、立憲君主制の先例となった。
- 場所
- ロンドン
1688年〜1704年日本文化・芸術およそ元禄文化
上方の町人を担い手として、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門らが活躍した。
- 背景
- 戦乱のない時代が続き、都市の経済と出版が育っていた。
- 帰結
- 浮世草子、俳諧、人形浄瑠璃など、町人の生活を題材とする表現が広がった。
- 場所
- 上方(京都・大阪)
1689年東アジア政治・国家ネルチンスク条約
清とロシアが国境を定めた。中国が結んだ最初の対等条約とされる。
- 場所
- ネルチンスク
1689年ヨーロッパ政治・国家権利の章典
課税と立法における議会の権限が明文化された。
- 背景
- 名誉革命で招かれた新王が受け入れを条件とされた。
- 帰結
- 議会の同意なき課税と常備軍の維持が禁じられ、立憲君主制が確立した。
- 場所
- ロンドン
- 出典
- legislation.gov.uk「Bill of Rights [1688]」(法令集では1688年の法として収録)
1695年〜1760年南北アメリカ経済・交易およそミナスジェライスの金の産出
ブラジル内陸で金が産出し、人と物資が内陸へ移動した。ポルトガル本国へも大量に送られた。
- 場所
- ミナスジェライス州(ブラジル)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Historic Town of Ouro Preto」
1698年〜1890年アフリカ政治・国家およそオマーンによる東アフリカ沿岸の支配
オマーンがモンバサを奪い、1840年には首都をザンジバルに移した。丁子の栽培と交易が営まれた。
- 場所
- ザンジバル
- 出典
- UNESCO世界遺産「Stone Town of Zanzibar」
1699年ヨーロッパ政治・国家カルロヴィッツ条約
オスマン帝国がハンガリーとトランシルヴァニアなどをオーストリアに、ほかの一部をポーランドとヴェネツィアに割譲した。
- 背景
- 第2次ウィーン包囲の失敗後、劣勢が続いた。
- 帰結
- オスマン帝国が初めて大幅な領土を割譲し、力関係の逆転が明確になった。
- 場所
- スレムスキ・カルロヴツィ
1700年〜1721年ヨーロッパ戦争・紛争大北方戦争
ロシアがスウェーデンを破り、バルト海への出口を得た。
- 場所
- バルト海
1700年〜1850年日本人類・社会およそ寺子屋の普及
読み書きそろばんを教える場が各地に広がり、識字の層が厚くなった。
- 場所
- 日本全国
1701年〜1714年ヨーロッパ戦争・紛争スペイン継承戦争
ユトレヒト条約でイギリスがジブラルタルなどを得た。
- 背景
- スペイン王家の断絶により、継承をめぐり大国が対立した。
- 帰結
- ユトレヒト条約で勢力均衡の原則が確認され、イギリスが海外領土を得た。
- 場所
- スペイン
1701年アフリカ政治・国家およそアシャンティ王国の成立
現在のガーナ内陸で諸勢力が統合された。金の産出で知られる。
- 場所
- クマシ
1703年ヨーロッパ政治・国家サンクトペテルブルクの建設
ロシアが西欧に開かれた新首都を築いた。
1712年東アジア経済・交易およそ地丁銀制
丁銀の額を固定する措置がとられ、以後、丁銀を土地税に繰り入れて銀で納める方式が各省へ広がった。
- 場所
- 北京
1716年〜1745年日本政治・国家享保の改革
徳川吉宗による改革。上米の制、目安箱、公事方御定書、新田開発などが行われた。
- 背景
- 幕府の財政が悪化し、米価の変動が武士の暮らしを圧迫していた。
- 帰結
- 一時的に財政は改善したが、米価の調整は難しく、のちの改革でも課題が残った。
- 場所
- 江戸(東京)
1722年オセアニア人類・社会ロヘフェーンのイースター島到達
オランダの航海者がヨーロッパ人として初めてこの島を記録した。
- 場所
- イースター島
1730年日本経済・交易堂島米会所の公認
大坂で米の先物取引が公に認められた。全国の米価の基準となった。
- 場所
- 大坂(大阪・堂島)
1740年〜1748年ヨーロッパ戦争・紛争オーストリア継承戦争
プロイセンがシュレジエンを獲得した。
- 場所
- シュレジエン
1744年西アジア・中東宗教・思想およそワッハーブ運動の始まり
アラビア半島中部で、聖者崇拝などを退けて初期のイスラームに立ち返ることを説く運動が起こり、サウード家と結んだ。
- 場所
- ディルイーヤ
1748年ヨーロッパ文化・芸術モンテスキュー『法の精神』
権力を立法・行政・司法に分ける構想を示した。
- 背景
- イギリスの政治制度を観察し、比較の視点で書かれた。
- 帰結
- 権力分立の構想がアメリカ憲法などに取り入れられた。
- 場所
- ジュネーヴ
1751年〜1772年ヨーロッパ文化・芸術『百科全書』の刊行
当時の学術と技術を体系的にまとめ、各国に影響した。
- 背景
- 知識を体系化し広く共有する試みとして企画された。
- 帰結
- たびたび発禁となりながら刊行が続き、啓蒙思想の普及に寄与した。
- 場所
- パリ
1752年〜1885年南アジア・東南アジア政治・国家コンバウン朝
ビルマ最後の王朝。3次の戦争を経てイギリス領に編入された。
- 場所
- シュエボー
1755年〜1758年東アジア戦争・紛争ジュンガルの滅亡
清の遠征によりジュンガル部が解体し、清の版図が中央アジアに及んだ。
- 場所
- ジュンガル盆地
1756年〜1763年ヨーロッパ戦争・紛争七年戦争
ヨーロッパ・北米・インドで同時に戦われ、イギリスが優位に立った。
- 背景
- オーストリア継承戦争の対立が持ち越され、植民地での英仏の競合が重なった。
- 帰結
- イギリスが北米とインドで優位に立った。戦費の負担が北米植民地への課税強化につながった。
- 場所
- 中央ヨーロッパ
1757年東アジア経済・交易貿易港の広州一港限定
ヨーロッパ船との交易が広州の公行を通す方式に限られた。
- 背景
- 沿岸の管理と密貿易の防止が目的とされた。
- 帰結
- 制限の緩和を求めるイギリスの使節が繰り返し派遣されたが、交渉は進まなかった。
- 場所
- 広州
1757年南アジア・東南アジア戦争・紛争プラッシーの戦い
イギリス東インド会社軍がベンガル太守・フランス連合軍を破った。
- 背景
- ムガル帝国の統制が弱まり、地方勢力と英仏の会社が結びついていた。
- 帰結
- 会社がベンガルの徴税権を得て、交易組織から領域統治の主体へ変わった。
- 場所
- パラシー(プラッシー)
1760年〜1840年ヨーロッパ経済・交易およそ産業革命
イギリスで機械制工業と蒸気機関の利用が広がった。
- 背景
- イギリスでは囲い込みにより農村の労働力が都市へ移り、石炭と鉄の産地が近接していた。
- 帰結
- 生産量と人口が急増する一方、都市問題と労働問題が生じ、資源と市場を求める対外進出が進んだ。
- 場所
- イギリス
- 出典
- UNESCO世界遺産「Ironbridge Gorge」
1762年ヨーロッパ文化・芸術ルソー『社会契約論』
主権が人民にあるという考え方を体系的に示した。
- 背景
- 王権神授説に代わる政治の正統性が問われていた。
- 帰結
- 人民主権の考え方が、革命期の議論でくり返し参照された。
- 場所
- アムステルダム
1763年南北アメリカ政治・国家パリ条約
七年戦争の講和。フランスが北米の領土の大半を失った。
- 場所
- パリ(調印地)
1765年南アジア・東南アジア経済・交易ベンガルの徴税権取得
会社が領域統治の主体となった。
- 背景
- プラッシーの戦いの後、会社が実質的な支配者となっていた。
- 帰結
- 徴税と交易を兼ねる統治が始まり、1770年にはベンガルで大規模な飢饉が起きた(死者数の推計には大きな幅がある)。
- 場所
- ベンガル
1769年ヨーロッパ科学・技術ワットの蒸気機関の改良
分離凝縮器により効率が上がり、動力源として広く使われた。
- 背景
- 炭鉱の排水用機関は燃料の消費が大きく、用途が限られていた。
- 帰結
- 工場の立地が水力に縛られなくなり、鉄道と汽船にも応用された。
- 場所
- グラスゴー
1770年オセアニア人類・社会クックのオーストラリア東岸到達
以後、イギリスによる入植が進んだ。
- 背景
- 南太平洋の観測と探検を目的とする航海だった。
- 帰結
- イギリスが領有を宣言し、18年後に流刑植民が始まった。
- 場所
- ボタニー湾(オーストラリア東岸)
1772年〜1795年ヨーロッパ政治・国家ポーランド分割
3度の分割によりポーランドが地図から消えた。
- 背景
- ロシア・プロイセン・オーストリアが、内政の混乱に乗じて三度にわたり領土を分けた。
- 帰結
- 国家が消滅した状態が123年続き、民族意識が強く形成された。
- 場所
- ポーランド
1772年〜1786年日本経済・交易田沼意次の政治
株仲間の公認や新田開発、蝦夷地の調査など、商業を通じた財政の立て直しが図られた。
- 場所
- 江戸(東京)
1774年日本科学・技術『解体新書』の刊行
杉田玄白・前野良沢らがオランダ語の解剖書を訳した。蘭学が広がる契機となった。
- 場所
- 江戸(東京)
- 出典
- 国立国会図書館デジタルコレクション「解體新書」安永3(1774)
1776年ヨーロッパ経済・交易アダム・スミス『国富論』
分業と市場の働きを分析し、経済学の基礎を築いた。
- 背景
- 重商主義のもとで貿易差額の確保が国家の目標とされていた。
- 帰結
- 分業と交換の分析が経済学の出発点となり、自由貿易論の根拠として参照された。
- 場所
- ロンドン
1776年南北アメリカ政治・国家アメリカ独立宣言
13植民地がイギリスからの独立を宣言した。
- 背景
- 七年戦争後の課税強化に対し、本国議会に代表を持たない植民地が反発した。
- 帰結
- 成文憲法と共和政の実例となり、フランス革命やラテンアメリカ諸国の独立に影響した。
- 場所
- フィラデルフィア
- 出典
- アメリカ国立公文書館 Milestone Documents「Declaration of Independence (1776)」
1782年〜1788年日本災害・疫病天明の飢饉
冷害と浅間山の噴火が重なり、東北を中心に多くの死者が出た。
- 場所
- 東北地方
1785年ヨーロッパ科学・技術力織機の発明
織布工程が機械化され、工場制生産が広がった。
- 場所
- イングランド
1787年アフリカ人類・社会シエラレオネの入植地建設
イギリスで解放された人々の再定住地として設けられた。
- 場所
- フリータウン
1787年〜1793年日本政治・国家寛政の改革
松平定信による改革。囲米、旧里帰農令、出版の統制などが行われた。
- 場所
- 江戸(東京)
1788年オセアニア政治・国家オーストラリアへの流刑植民の開始
シドニー湾に最初の船団が到着した。
- 背景
- 北米独立によりイギリスが流刑地を失っていた。
- 帰結
- 入植の拡大にともない、イギリス系入植者が先住民の土地を占め、持ち込まれた感染症と辺境での衝突によって先住民の人口は大きく減少した。
- 場所
- シドニー
1788年〜1880年オセアニア政治・国家およそタヒチのポマレ朝
諸首長のなかから王家が立ち、のちフランスに併合された。
- 場所
- タヒチ
1789年〜1799年ヨーロッパ政治・国家フランス革命
人権宣言の採択と王政の廃止を含む。
- 背景
- 財政難と身分制への不満が重なり、三部会の招集が転機となった。
- 帰結
- 人権宣言が出され、国民が主権を持つという原則がヨーロッパ各地へ広がった。
- 場所
- パリ
1791年〜1804年南北アメリカ戦争・紛争ハイチ革命
サン=ドマングで奴隷とされた人びとが蜂起し、フランス軍・イギリス軍との戦闘が続いた。
- 背景
- フランス革命の理念が植民地にも伝わった。
- 帰結
- 奴隷制下の蜂起から独立国家が成立した唯一の事例となった。
- 場所
- ハイチ(サン=ドマング)
1792年日本政治・国家ラクスマンの根室来航
ロシアの使節が漂流民を送り届け、通商を求めた。幕府は長崎への入港許可証を渡した。
- 場所
- 根室(北海道)
1793年東アジア政治・国家マカートニー使節の来訪
イギリスが貿易の拡大を求めたが、清は応じなかった。
- 場所
- 承徳(熱河)
1796年〜1804年東アジア戦争・紛争白蓮教徒の乱
鎮圧に9年を要し、多額の軍費が支出された。清の財政悪化の一因として挙げられる。
- 場所
- 湖北省
1796年〜1925年西アジア・中東政治・国家カージャール朝
テヘランを都としたイランの王朝。19世紀にロシアとイギリスの進出を受けた。
- 場所
- テヘラン
1797年オセアニア宗教・思想ロンドン伝道会のタヒチ布教
宣教師が到着し、太平洋の島々へのキリスト教の布教が本格化した。
- 場所
- タヒチ
1799年ヨーロッパ政治・国家ナポレオンの統領政府
クーデタにより革命政府が終わり、事実上の独裁が始まった。
- 背景
- 総裁政府の不安定と対外戦争の継続があった。
- 帰結
- 中央銀行の設立や法典の編纂が進み、5年後に帝政へ移行した。
- 場所
- パリ
1800年〜1890年アフリカ経済・交易およそ東アフリカ内陸への隊商交易の拡大
ザンジバルを拠点とする商人やニャムウェジの隊商が内陸へ路を延ばし、象牙とともに多数の人びとを奴隷として沿岸へ連行した。
- 場所
- 東アフリカ内陸(タンザニア)
1800年〜1816年日本科学・技術伊能忠敬の測量
全国を歩いて測量し、没後に『大日本沿海輿地全図』が完成した。
1800年〜1860年日本経済・交易およそ問屋制家内工業と工場制手工業
綿織物や酒造などで、材料の前貸しや作業場での分業が広がった。
- 場所
- 日本全国
1802年〜1945年南アジア・東南アジア政治・国家阮朝
ベトナム最後の王朝。のちフランスの保護国となった。
1803年南北アメリカ政治・国家ルイジアナ購入
アメリカ合衆国がフランスからミシシッピ川以西の広大な地域を買い取った。
- 背景
- ハイチでの戦いとヨーロッパ情勢のなか、フランスは北アメリカの領有を手放した。
- 帰結
- 合衆国の領域はほぼ倍になり、西方への移住と先住民との衝突が続いた。
- 場所
- ニューオーリンズ
- 出典
- アメリカ国立公文書館 Milestone Documents「Louisiana Purchase Treaty (1803)」
1804年〜1814年ヨーロッパ政治・国家ナポレオンの帝政
民法典が制定され、征服地にも導入された。
- 背景
- 革命後の混乱のなかで、軍事的成功を背景に権力が集中した。
- 帰結
- 民法典が征服地に導入され、身分制の廃止と法の下の平等という原則が各地へ広がった。
- 場所
- パリ
1804年〜1903年アフリカ政治・国家ソコト帝国
西アフリカ内陸に成立したイスラーム国家。
- 場所
- ソコト
1804年南北アメリカ政治・国家ハイチの独立
サン=ドマングがハイチとして独立を宣言した。
- 背景
- 13年に及ぶ戦闘と、フランス軍の疫病による損耗があった。
- 帰結
- 1825年にフランスが承認の条件として巨額の賠償金を課し、その支払いが長く財政を圧迫した。
- 場所
- ハイチ
1804年〜1830年日本文化・芸術およそ化政文化
江戸を中心とする町人の文化。浮世絵、滑稽本、川柳などが広まった。
- 背景
- 出版と貸本、寺子屋の普及で、読み書きの層が厚くなっていた。
- 帰結
- 葛飾北斎や歌川広重の版画は、のちにヨーロッパの美術にも影響を与えた。
- 場所
- 江戸(東京)
1805年ヨーロッパ戦争・紛争トラファルガーの海戦
イギリスが制海権を確保した。
- 場所
- トラファルガー岬
1805年〜1848年アフリカ政治・国家ムハンマド・アリーの改革
エジプトで徴兵制の軍隊、官営工場、灌漑事業などが進められた。
- 背景
- ナポレオン軍の撤退後、オスマン帝国の総督として実権を握った。
- 帰結
- エジプトはオスマン帝国のなかで事実上の自立性を強め、のちに世襲の統治が認められた。
- 場所
- カイロ
1806年ヨーロッパ経済・交易大陸封鎖令
イギリスとの通商を禁じたが、各国の反発が強まった。
- 場所
- ベルリン
1808年日本戦争・紛争フェートン号事件
イギリス船が長崎に侵入し、薪水を強要した。長崎奉行が責任をとった。
- 場所
- 長崎
1808年〜1809年日本科学・技術間宮林蔵の樺太調査
樺太が島であることを確かめ、海峡を渡って大陸沿岸に達した。
- 場所
- 樺太(サハリン)
1810年〜1826年南北アメリカ戦争・紛争ラテンアメリカ諸国の独立
スペイン・ポルトガルの本国が動揺するなか各地で独立が達成された。
- 背景
- ナポレオン戦争でスペイン・ポルトガル本国が占領され、統治が空白になった。
- 帰結
- 20年ほどで大陸の大半が独立したが、境界と統治体制をめぐる紛争が続いた。
- 場所
- ラテンアメリカ
1810年オセアニア政治・国家ハワイ王国の成立
カメハメハ1世が諸島を統一した。
- 場所
- ハワイ諸島
1812年ヨーロッパ戦争・紛争ナポレオンのロシア遠征
撤退で大きな損害を受け、支配体制が動揺した。
- 背景
- 大陸封鎖令に従わないロシアへの制裁として行われた。
- 帰結
- 冬季の撤退で兵力の大半を失い、諸国民戦争につながった。
- 場所
- モスクワ
1814年〜1815年ヨーロッパ政治・国家ウィーン会議
革命前の秩序の回復と勢力均衡を原則に、ヨーロッパの国境が定められた。
- 背景
- ナポレオン戦争後のヨーロッパの領土と統治の枠組みを決める必要があった。
- 帰結
- 勢力均衡と正統主義が原則とされ、以後約40年、大国間の全面戦争が起きなかった。同時に自由主義・民族運動が抑えられた。
- 場所
- ウィーン
1815年ヨーロッパ戦争・紛争ワーテルローの戦い
ナポレオンが敗れ、セントヘレナ島に流された。
- 背景
- エルバ島を脱出したナポレオンが再び政権に就いていた。
- 帰結
- ナポレオン戦争が終結し、ウィーン体制が本格的に始動した。
- 場所
- ワーテルロー
1818年アフリカ政治・国家およそズールー王国の成立
南部アフリカで軍制改革を伴う統合が進んだ。
- 場所
- ズールーランド
1822年アフリカ人類・社会リベリアの入植地建設
アメリカで解放された人々の移住地として設けられ、1847年に独立した。
- 場所
- モンロビア
1822年〜1868年アフリカ政治・国家およそバソト王国の形成
南部アフリカ。モシュシュ1世のもとで諸集団がまとまり、のちイギリスの保護領となった。
- 場所
- タバ・ボシウ
1823年南北アメリカ政治・国家モンロー宣言
アメリカが南北アメリカとヨーロッパの相互不干渉を表明した。
- 背景
- ラテンアメリカ諸国の独立へのヨーロッパの介入が懸念された。
- 帰結
- アメリカの外交の基本方針として長く参照され、のち中南米への介入の根拠ともされた。
- 場所
- ワシントンD.C.
- 出典
- アメリカ国立公文書館 Milestone Documents「Monroe Doctrine (1823)」
1824年〜1826年南アジア・東南アジア戦争・紛争第1次イギリス・ビルマ戦争
イギリスがアッサム・アラカン方面を獲得した。以後2次の戦争を経て、イギリスはビルマ全土を領有した。
- 場所
- ラングーン(ヤンゴン)
1825年ヨーロッパ科学・技術蒸気機関車の営業運転
ストックトン・ダーリントン間で開始された。
- 背景
- 炭鉱の軌道輸送で蒸気機関の利用が進んでいた。
- 帰結
- 旅客と貨物の輸送費が下がり、各国で鉄道網の建設が始まった。
- 場所
- ストックトン・オン・ティーズ
1825年日本政治・国家異国船打払令
接近する外国船を撃退するよう命じた。1842年に薪水給与令へ改められた。
- 場所
- 日本全国
1828年日本人類・社会シーボルト事件
国外への持ち出しが禁じられていた地図をシーボルトが所持していたことが問題となり、幕府はシーボルトを国外追放とし、地図を渡した高橋景保らを処罰した。
- 場所
- 長崎
1830年ヨーロッパ政治・国家フランス七月革命
ウィーン体制下の各国に立憲化を求める動きが広がった。
- 背景
- 復古王政が言論と選挙を制限した。
- 帰結
- 立憲的な王政に移り、ベルギー独立などヨーロッパ各地に波及した。
- 場所
- パリ
1830年アフリカ戦争・紛争フランスのアルジェリア侵攻
フランス軍が侵攻し、以後130年余り統治が続いた。抵抗の鎮圧と焦土戦術の過程で、飢饉と疫病を含め数十万人規模のアルジェリア人が死亡したと推計される(推計には大きな幅がある)。
- 場所
- アルジェ
1830年南北アメリカ人類・社会インディアン強制移住法
合衆国議会が、ミシシッピ川以東の先住民をその西へ移すことを定めた法。
- 背景
- 南部での綿花栽培の拡大にともない、先住民の土地への要求が強まっていた。
- 帰結
- 合衆国政府と陸軍がチェロキーなどを強制的に移動させ、道中で約4000人が死亡したとされる。のちに「涙の道」と呼ばれる。
- 場所
- ワシントンD.C.
- 出典
- アメリカ国立公文書館 Milestone Documents「President Andrew Jackson's Message to Congress 'On Indian Removal' (1830)」(法そのものではなく、同年の大統領教書)
1831年〜1841年西アジア・中東戦争・紛争エジプト=トルコ戦争
ムハンマド・アリーがシリアの領有をめぐってオスマン帝国と2度戦い、列強の介入で決着した。
- 場所
- シリア
1832年ヨーロッパ政治・国家イギリス第1回選挙法改正
都市の新興有産層に選挙権が広がった。
- 背景
- 工業都市の人口増に議席配分が対応していなかった。
- 帰結
- 有権者は成人男性の約2割にとどまり、以後も改正が繰り返された。
- 場所
- ロンドン
1833年ヨーロッパ政治・国家イギリスの奴隷制廃止法
帝国内の奴隷制が段階的に廃止された。
- 背景
- 18世紀後半から廃止を求める運動が組織され、1807年に奴隷貿易が禁止されていた。
- 帰結
- 他のヨーロッパ諸国とアメリカ大陸諸国の廃止に影響した。奴隷所有者には補償金が支払われたが解放された人びとへの補償はなく、農園主はインド・中国からの契約移民で労働力を補った。
- 場所
- ロンドン
1833年〜1839年日本災害・疫病天保の飢饉
凶作が続き、各地で一揆と打ちこわしが起きた。
- 場所
- 日本全国
1837年世界規模科学・技術電信の実用化
符号による遠距離通信の方式が、イギリスとアメリカでほぼ同時期に特許化された。実用回線の開通は1839年と1844年。
- 背景
- 鉄道の運行管理で、列車より速い情報伝達が必要とされた。
- 帰結
- 市況と報道の伝達が即時化し、のちの海底ケーブル網につながった。
- 場所
- ロンドン
1837年日本人類・社会大塩平八郎の乱
元大坂町奉行所与力が飢饉のなかで挙兵した。半日で鎮圧されたが幕府に衝撃を与えた。
- 場所
- 大坂(大阪)
1839年〜1842年東アジア戦争・紛争アヘン戦争
南京条約により香港島の割譲と開港が定められた。
- 背景
- イギリスは対中貿易の輸入超過を、インド産アヘンの中国への輸出で埋めていた。
- 帰結
- 南京条約以後、東アジアの諸国が相次いで条約による開港を受け入れた。
- 場所
- 広州
1839年〜1876年西アジア・中東政治・国家タンジマート
オスマン帝国の改革。法の下の平等、税制・軍制・教育の整備が図られた。
- 背景
- ヨーロッパ諸国との力の差が明らかになり、中央集権的な立て直しが求められていた。
- 帰結
- 西欧的な法典と学校が導入された一方、財政の悪化と対外債務が進んだ。
- 場所
- イスタンブル
1840年オセアニア政治・国家ワイタンギ条約
イギリスとマオリの首長間で結ばれた。英語版とマオリ語版で内容の解釈が異なる。
- 背景
- 入植の拡大にともない、土地取引の枠組みが必要とされた。
- 帰結
- 英語版とマオリ語版で主権に関する語の対応が異なり、その解釈が現在も問われている。
- 場所
- ワイタンギ(ニュージーランド)
- 出典
- ニュージーランド文化遺産省 NZHistory「Read the Treaty(英語版本文)」
1841年〜1877年アフリカ人類・社会リヴィングストンとスタンリーの内陸踏査
ヨーロッパ側の地理知識が内陸に及び、のちの分割の前提となる情報が集められた。
- 場所
- ウジジ(タンガニーカ湖畔)
1841年〜1843年日本政治・国家天保の改革
水野忠邦による改革。株仲間の解散や人返し令が出されたが、反発を受けて短期に終わった。
- 場所
- 江戸(東京)
1842年オセアニア政治・国家フランスによるタヒチの保護領化
タヒチがフランスの保護下に置かれた。
- 場所
- タヒチ
1845年〜1849年ヨーロッパ災害・疫病アイルランドの大飢饉
ジャガイモの疫病により多数が死亡し、北米への移民が急増した。
- 背景
- 単一品種のジャガイモに食料を依存する構造があった。
- 帰結
- 100万人前後が死亡し、同規模の人びとが北米などへ移住した。連合王国政府の救済策の是非は現在も論争が続いている。
- 場所
- アイルランド
1845年〜1872年オセアニア戦争・紛争ニュージーランド戦争
土地の売買と主権の解釈をめぐり、イギリス側とマオリの諸部族が断続的に戦った。
- 場所
- ニュージーランド北島
1846年〜1848年南北アメリカ戦争・紛争米墨戦争
テキサス併合をめぐる国境の争いから戦争となり、メキシコが現在のアメリカ南西部を割譲した。
- 背景
- テキサス併合をめぐる国境の争いが発端となった。
- 帰結
- メキシコは領土の半分近くを失い、獲得地での奴隷制の可否が合衆国内の南北対立を深めた。
- 場所
- メキシコ
1848年ヨーロッパ政治・国家1848年の革命
フランスの二月革命を機に各地で立憲・民族運動が起きた。
- 背景
- 凶作と不況が重なり、選挙権の拡大と民族の統一を求める運動が各地で高まっていた。
- 帰結
- 多くが短期間で鎮圧されたが、農奴制の廃止や憲法の制定など制度の変更が各地で残った。
- 場所
- ヨーロッパ
1848年ヨーロッパ文化・芸術『共産党宣言』の刊行
労働者を主体とする社会変革の構想が示された。
- 背景
- 工業化の進展とともに、労働時間と生活環境の問題が各国で表面化していた。
- 帰結
- 社会主義の諸潮流に理論的な枠組みを与え、20世紀の政治運動に影響した。
- 場所
- ロンドン
1848年南北アメリカ経済・交易カリフォルニアのゴールドラッシュ
金の発見が伝わり、各地から人が集まった。中国からの移民もこの時期に増えた。
- 場所
- カリフォルニア州
1851年〜1864年東アジア戦争・紛争太平天国
キリスト教の影響を受けた宗教結社が南京を占領し、14年間存続した。
- 背景
- アヘン戦争後の賠償負担と銀の流出で、農村の困窮が広がっていた。
- 帰結
- 鎮圧に地方の義勇軍が用いられ、漢人官僚の発言力が高まって洋務運動につながった。
- 場所
- 南京
1851年ヨーロッパ文化・芸術ロンドン万国博覧会
工業製品と技術が一堂に展示された最初の国際博覧会。
- 背景
- 鉄とガラスによる大規模建築が可能になっていた。
- 帰結
- 以後、各国が万国博覧会を開催し、技術と産業の国際的な競争の場となった。
- 場所
- ロンドン
1851年オセアニア経済・交易オーストラリアのゴールドラッシュ
ビクトリア・ニューサウスウェールズで金鉱が発見された。
- 背景
- 流刑植民地としての性格が薄れ、自由移民を呼び込む条件が整っていた。
- 帰結
- 10年で人口が3倍近くに増え、中国系移民の流入が排斥政策の背景にもなった。
- 場所
- バララット(ビクトリア)
1853年〜1856年ヨーロッパ戦争・紛争クリミア戦争
ロシアとオスマン帝国の戦いに英仏が加わり、ロシアが敗れた。
- 背景
- オスマン帝国の領土をめぐる列強の対立(東方問題)が続いていた。
- 帰結
- ウィーン体制のもとで保たれていた大国間の協調が崩れ、ロシアは内政の改革に向かった。
- 場所
- クリミア半島
1853年オセアニア政治・国家フランスによるニューカレドニアの併合
併合ののち流刑地とされた。
- 場所
- ニューカレドニア
1853年日本政治・国家ペリーの来航
アメリカの艦隊が浦賀に来航し、開国を求める国書を渡した。幕府は翌年の再来航を受けて日米和親条約を結んだ。
- 背景
- 捕鯨船の補給と対中国航路の中継地が求められていた。
- 帰結
- 翌年の和親条約に続き、1858年の通商条約で開港と関税の取り決めがなされた。
- 場所
- 浦賀(神奈川県)
1854年日本政治・国家日米和親条約
下田と箱館の開港などを定めた。同様の条約が他国とも結ばれた。
- 背景
- 前年のペリーの来航で開国を迫られていた。
- 帰結
- 領事の駐在が認められ、のちの通商条約の交渉につながった。
- 場所
- 横浜(神奈川)
1856年〜1860年東アジア戦争・紛争アロー戦争
北京条約により開港場の追加と外国公使の北京駐在が定められた。
- 背景
- 南京条約後も貿易の拡大が進まないという不満があった。
- 帰結
- 外国公使の北京駐在が認められ、清の対外関係の枠組みが変わった。
- 場所
- 北京
1857年〜1859年南アジア・東南アジア戦争・紛争インド大反乱
東インド会社軍のインド人兵士の蜂起に各地の勢力が加わった。
- 背景
- 併合政策と社会慣行への干渉に対する反発が各層に広がっていた。
- 帰結
- 東インド会社が解散し、統治がイギリス政府の直接統治へ移った。
- 場所
- デリー
1858年南アジア・東南アジア政治・国家ムガル帝国の滅亡とイギリスによる直接統治
イギリスが最後の皇帝バハードゥル・シャー2世を廃位し、ビルマへ流した。東インド会社は解散した。
- 背景
- インド大反乱の後、東インド会社による統治が問われた。
- 帰結
- 本国政府の直接統治となり、鉄道と英語教育が制度として整備された。
- 場所
- デリー
1858年日本政治・国家日米修好通商条約
5港の開港と自由貿易を定めた。関税自主権がなく、領事裁判権を認める内容を含んだ。
- 背景
- アヘン戦争後の東アジアの情勢のなかで交渉が進められた。
- 帰結
- 条約の改正は明治政府の長い課題となり、1911年まで完全な回復には至らなかった。
- 場所
- 江戸(東京)
1858年〜1859年日本政治・国家安政の大獄
条約調印と将軍継嗣をめぐり、幕府が反対派を処罰した。翌年、井伊直弼が桜田門外で殺害された。
- 場所
- 江戸(東京)
1859年ヨーロッパ科学・技術ダーウィン『種の起源』刊行
自然選択による進化の理論を提示した。
- 背景
- 各地の生物の分布と化石の記録が蓄積していた。
- 帰結
- 生物学の枠組みが変わる一方、思想と社会に広範な議論を呼んだ。
- 場所
- ロンドン
- 出典
- Charles Darwin, On the Origin of Species by Means of Natural Selection, London: John Murray, 1859(初版第1刷)— Biodiversity Heritage Library
1861年〜1894年東アジア科学・技術洋務運動
清が西洋の軍事技術と工業を導入した。
- 背景
- アヘン戦争と太平天国の経験から、軍事技術の導入が図られた。
- 帰結
- 日清戦争の敗北を機に、政治制度の改革を伴わなかったことがその限界だったと論じられるようになった。
- 場所
- 中国
1861年ヨーロッパ政治・国家イタリア王国の成立
サルデーニャ王国を中心に統一が進んだ。
- 背景
- 諸邦に分立し、北部はオーストリアの影響下にあった。
- 帰結
- ローマ教皇領との対立が残り、南北の経済格差が課題として続いた。
- 場所
- トリノ
1861年ヨーロッパ政治・国家ロシアの農奴解放令
身分的解放は認められたが、土地の買い戻し負担が残された。
- 背景
- クリミア戦争の敗北で体制の後進性が意識された。
- 帰結
- 労働力の移動が可能になったが、買い戻し金の負担が農民に残された。
- 場所
- サンクトペテルブルク
1861年〜1865年南北アメリカ戦争・紛争アメリカ南北戦争
奴隷制の存廃をめぐって合衆国が分裂し、4年に及ぶ内戦となった。
- 背景
- 奴隷制と関税をめぐり、南部と北部の利害が対立した。
- 帰結
- 合衆国の分裂が回避され、憲法修正第13条で奴隷制が廃止された。
- 場所
- アメリカ南部
1862年南北アメリカ経済・交易ホームステッド法
一定期間の開墾を条件に公有地を与える法。西部への移住を促した。
- 場所
- ワシントンD.C.(立法)
- 出典
- アメリカ国立公文書館 Milestone Documents「Homestead Act (1862)」
1862年〜1863年オセアニア人類・社会ラパヌイからの住民の連行
ペルーの船が1862年から翌年にかけてイースター島などから1,400人以上を連れ去った。送還船が天然痘を島に持ち込み、その後の流行で人口はさらに大きく減少した(推計には幅がある)。
- 場所
- イースター島
1863年南北アメリカ政治・国家奴隷解放宣言
南部の反乱地域の奴隷の解放が宣言された。
- 背景
- 戦況の打開と国際世論への働きかけの意味を持った。
- 帰結
- 黒人兵の従軍が進み、戦後の憲法修正につながった。
- 場所
- ワシントンD.C.
- 出典
- アメリカ国立公文書館 Milestone Documents「Emancipation Proclamation (1863)」
1863年〜1904年オセアニア人類・社会およそメラネシアからの労働者の徴募と連行
オーストラリアやフィジーの農園主と仲介業者が、メラネシアの島々から労働者を集めた。誘拐や強制を伴う事例が記録されている。
- 場所
- メラネシア
1865年〜1885年西アジア・中東政治・国家ロシアの中央アジア征服
タシケント占領から始まり、3ハン国が保護国化または併合された。
- 場所
- タシケント
1866年世界規模科学・技術大西洋横断電信ケーブルの敷設
ヨーロッパと北米が数分で通信できるようになった。
- 背景
- それまで大西洋を越える情報は船で10日以上かかっていた。
- 帰結
- 市況と外交の情報が即日伝わるようになり、世界市場の一体化が進んだ。
- 場所
- ハーツコンテント(ニューファンドランド)
1866年日本政治・国家薩長同盟
薩摩と長州が、土佐藩を脱藩した坂本龍馬・中岡慎太郎の仲介で結んだ。倒幕の動きが強まった。
- 場所
- 京都
1867年南北アメリカ政治・国家カナダ連邦の成立
英領北アメリカ法により、4州が連邦を組織した。
- 背景
- アメリカの南北戦争後、防衛と鉄道建設で協調する必要があった。
- 帰結
- イギリスの自治領として、以後の他の自治領の先例となった。
- 場所
- オタワ
1867年日本政治・国家大政奉還と王政復古
徳川慶喜が政権の返上を申し出、続いて王政復古の大号令が出された。
- 背景
- 雄藩の連合と朝廷の権威をめぐる駆け引きが続いていた。
- 帰結
- 翌年から戊辰戦争となり、新政府による統治が始まった。
- 場所
- 京都(二条城)
1868年日本政治・国家五箇条の誓文
新政府の方針が示された。広く会議を開くことなどが掲げられた。
- 場所
- 京都
1868年日本政治・国家明治維新
幕府の統治が終わり中央集権的な政府が成立した。
- 背景
- 開港後の混乱と、幕府の統治能力への不信が広がっていた。
- 帰結
- 中央集権化・徴兵制・地租改正が進み、産業と軍備の近代化が図られた。
- 場所
- 日本全国
1868年〜1869年日本戦争・紛争戊辰戦争
鳥羽・伏見の戦いから箱館の五稜郭まで、新政府軍と旧幕府側の戦いが続いた。
- 場所
- 日本各地(鳥羽・伏見〜箱館)
1869年アフリカ経済・交易スエズ運河の開通
地中海とインド洋を結ぶ航路が短縮された。
- 場所
- スエズ運河
1869年南北アメリカ経済・交易大陸横断鉄道の開通
北米東西の輸送日数が大幅に短縮された。
- 背景
- 西部の鉱山開発と入植の拡大が背景にあった。
- 帰結
- 東西の移動が数か月から1週間程度に短縮され、国内市場が統合された。
- 場所
- プロモントリー(ユタ州)
1869年〜1871年日本政治・国家版籍奉還と廃藩置県
大名が土地と人民を返上し、続いて藩が廃されて府県が置かれた。
- 背景
- 旧藩がそれぞれ軍と財政を持つままでは、統一した統治ができなかった。
- 帰結
- 中央から府知事・県令が派遣され、全国を一つの行政の下に置く体制ができた。
- 場所
- 日本全国
1871年ヨーロッパ政治・国家ドイツ帝国の成立
プロイセン中心に統一され、ヨーロッパの勢力均衡が変わった。
- 背景
- プロイセンがデンマーク・オーストリア・フランスとの戦争を経て統一を進めた。
- 帰結
- 急速な工業化と海軍の増強が、既存の列強との緊張を生んだ。
- 場所
- ヴェルサイユ宮殿
1871年ヨーロッパ政治・国家パリ・コミューン
市民と労働者による自治政府が2か月余り続いたが、ヴェルサイユ政府軍が市内に進攻して鎮圧し、多数が殺害された。
- 場所
- パリ
1871年日本人類・社会郵便制度の開始
東京・京都・大坂の間で新式郵便が始まった。翌年に全国へ広げられ、1873年に料金が全国均一とされた。
- 場所
- 東京
1871年〜1873年日本政治・国家岩倉使節団の派遣
条約改正の予備交渉と欧米の視察のため、政府の首脳が1年10か月にわたり外遊した。
- 場所
- 横浜(神奈川・出航地)
- 出典
- 国立国会図書館デジタルコレクション「特命全権大使米欧回覧実記」明治11(1878)
1872年日本人類・社会学制の公布
全国に小学校を置く方針が示された。就学率は次第に上がった。
- 場所
- 日本全国
1872年日本経済・交易富岡製糸場の操業
官営の器械製糸工場。生糸は明治期の主要な輸出品となった。
- 場所
- 富岡製糸場(群馬)
- 出典
- UNESCO世界遺産「Tomioka Silk Mill and Related Sites」
1872年日本経済・交易鉄道の開業
新橋と横浜の間で営業が始まった。以後、幹線の建設が進んだ。
- 場所
- 新橋(東京)
1873年日本人類・社会太陽暦の採用
明治5年12月3日を明治6年1月1日とした。
- 場所
- 日本全国
1873年日本政治・国家徴兵令
満20歳の男子に兵役の義務を課した。各地で反対の動きも起きた。
- 場所
- 日本全国
1873年〜1881年日本経済・交易地租改正
地価の3%を土地所有者が現金で納める方式に改めた。
- 背景
- 年貢は収穫と米価に左右され、政府の収入が安定しなかった。
- 帰結
- 政府の収入は安定したが農民の負担は重く、各地の反対を受けて税率は2.5%に引き下げられた。
- 場所
- 日本全国
1874年〜1890年日本政治・国家自由民権運動
民撰議院設立の建白書から始まり、国会の開設と憲法の制定を求める運動が広がった。
- 背景
- 藩閥による政治への不満が、士族から豪農・商工業者にも広がっていた。
- 帰結
- 1881年に国会開設の勅諭が出され、政党が結成された。
- 場所
- 高知(土佐)
1875年東アジア政治・国家江華島事件
日本の軍艦と朝鮮の砲台が交戦し、翌年の日朝修好条規につながった。
- 場所
- 江華島
1876年西アジア・中東政治・国家オスマン帝国憲法の発布
ミドハト・パシャらが起草した憲法が発布されたが、翌年の露土戦争を機に停止された。
- 場所
- イスタンブル
1876年南北アメリカ科学・技術電話の発明
ベルが特許を取得し、音声の遠距離伝達が実用化された。先行する発明の主張も複数ある。
- 場所
- ボストン(マサチューセッツ州)
1877年南アジア・東南アジア政治・国家インド帝国の成立
ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねた。
- 背景
- 直接統治の体制を象徴的に示す必要があった。
- 帰結
- 藩王国を残す間接統治と併用され、統治機構が複層化した。
- 場所
- デリー
1877年日本科学・技術大森貝塚の発掘
モースによる調査。日本の考古学の始まりとされる。
- 場所
- 大森貝塚(東京)
1877年日本戦争・紛争西南戦争
西郷隆盛を擁する士族が挙兵し、政府軍に敗れた。士族の反乱はこれで終わった。
- 場所
- 鹿児島
1879年南北アメリカ科学・技術白熱電球の実用化
エジソンらが長時間点灯する電球を実用化し、電力の家庭・工場への供給が進む契機となった。
- 場所
- メンローパーク(ニュージャージー州)
1879年日本政治・国家沖縄県の設置
明治政府が琉球藩を廃して沖縄県を置き、琉球王国は幕を閉じた。旧来の制度をしばらく残す方針がとられた。
- 背景
- 1872年に琉球王国を琉球藩とし、清との関係の解消を求めていた。
- 帰結
- 土地・租税の制度の改革は本土より遅れ、衆議院議員の選挙が実施されたのは1912年である。
- 場所
- 那覇(沖縄)
1880年〜1910年日本経済・交易およそ日本の産業革命
紡績と製糸が機械化され、続いて鉄鋼と造船が育った。
- 背景
- 松方財政による通貨の整理と、鉄道・銀行の整備が前提となった。
- 帰結
- 工場労働者が増え、労働時間と女工の待遇をめぐる問題が現れた。
- 場所
- 日本全国
- 出典
- UNESCO世界遺産「Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining」
1881年〜1898年アフリカ宗教・思想マフディー運動
スーダンで宗教的指導者を掲げる勢力が政権を樹立し、のちイギリス・エジプト軍に敗れた。
- 場所
- オムドゥルマン
1882年ヨーロッパ政治・国家三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
ドイツを軸とする防御同盟。イタリアはオーストリアとの領土問題を抱えたまま参加した。
- 背景
- ドイツがフランスの孤立化を図った。
- 帰結
- のちの三国協商と対峙し、ヨーロッパが二つの陣営に分かれた。
- 場所
- ウィーン
1882年〜1898年アフリカ戦争・紛争サモリ・トゥーレの抵抗
西アフリカ内陸でフランスの進出に対する抵抗が続いた。
- 場所
- カンカン(ギニア)
1884年〜1885年アフリカ政治・国家ベルリン会議
ヨーロッパ諸国間でアフリカにおける権益の原則が取り決められた。
- 背景
- 列強のアフリカ進出が競合し、相互の衝突を避ける取り決めが求められた。
- 帰結
- 会議後、ヨーロッパ諸国が二国間条約を重ねて境界線を定めていき、現地の社会の分布と対応しない線引きが各地で生じた。独立後の国境の多くはこれを引き継いだ。
- 場所
- ベルリン
1884年オセアニア政治・国家ドイツ領ニューギニアの成立
ニューギニア島北東部と周辺の島々がドイツの保護領とされた。
- 場所
- ニューギニア島北東部
1885年南アジア・東南アジア政治・国家インド国民会議の結成
当初は諮問機関として発足し、のち独立運動の中核となった。
- 背景
- 英語教育を受けた層が政治参加を求めた。
- 帰結
- 20世紀に入り自治・独立の要求へ転じ、独立運動の中核となった。
- 場所
- ボンベイ(ムンバイ)
1885年ヨーロッパ科学・技術ガソリン自動車の製作
内燃機関を用いた車両が実用の段階に入った。
- 背景
- 内燃機関の小型化と石油の精製技術が進んでいた。
- 帰結
- 20世紀に大量生産され、都市の構造と生活様式を変えた。
- 場所
- マンハイム
1885年〜1908年アフリカ政治・国家コンゴ自由国
ベルリン会議の前後に列強が個別に承認を与え、1885年にベルギー国王レオポルド2世を元首とする国家として成立した。
- 背景
- ゴムと象牙の採取が国王の個人事業として行われた。
- 帰結
- 長時間・無償の労役を強いる実態が国際的に告発され、1908年にベルギー政府の統治へ移された。死者数の推計には大きな幅があり、研究者の間で議論が続いている。
- 場所
- コンゴ民主共和国
1885年日本政治・国家内閣制度の創設
太政官制に代わり内閣が置かれ、伊藤博文が初代の内閣総理大臣となった。
- 場所
- 東京
1887年南アジア・東南アジア政治・国家フランス領インドシナ連邦の成立
ベトナム・カンボジアが統合され、のちラオスが加わった。
- 背景
- 阮朝を保護国とし、周辺地域を統合した。
- 帰結
- 米の輸出とゴム栽培が拡大する一方、独立運動が組織された。
- 場所
- ハノイ
1888年南北アメリカ政治・国家ブラジルの奴隷制廃止
南北アメリカで最後に奴隷制を廃止した国となった。
- 背景
- 大西洋奴隷貿易で最も多くの人々が移送された地域だった。
- 帰結
- 翌1889年に帝政が倒れ、共和政へ移行した。
- 場所
- リオデジャネイロ
1889年南北アメリカ政治・国家ブラジル共和政の成立
軍によるクーデタで帝政が倒れた。
- 場所
- リオデジャネイロ(ブラジル)
1889年日本政治・国家大日本帝国憲法の発布
天皇が定める形式の欽定憲法で、天皇が統治権を総攬し、帝国議会と内閣が置かれた。臣民の権利は法律の範囲内で認められた。
1890年南北アメリカ人類・社会ウーンデッド・ニーの殺害
サウスダコタで合衆国軍がラコタの人びと約250〜300人を殺害した。多くが女性と子どもだった。先住民に対する軍事行動の終期とされる。
- 場所
- ウーンデッド・ニー(サウスダコタ州)
1890年日本人類・社会教育勅語の発布
学校教育の基本方針とされ、各学校で読まれた。1948年に国会で失効が確認された。
- 場所
- 日本全国
1890年日本政治・国家第1回帝国議会
衆議院と貴族院からなる議会が開かれた。選挙権は一定額以上の納税者に限られた。
- 場所
- 東京
1890年〜1907年日本人類・社会およそ足尾銅山の鉱毒問題
古河鉱業の足尾銅山から出た鉱毒で渡良瀬川流域に被害が広がり、田中正造らが対策を求めた。政府は遊水池の建設を決め、栃木県は谷中村の住民を立ち退かせて村を廃した。
- 場所
- 足尾銅山(栃木)
1891年ヨーロッパ経済・交易シベリア鉄道の起工
ロシアが極東への輸送路を建設した。
- 背景
- 極東の防衛と資源の輸送が課題とされた。
- 帰結
- 満洲への進出が進み、日露の対立が深まる一因となった。
- 場所
- ウラジオストク
1893年オセアニア政治・国家ニュージーランドの女性参政権
自治植民地として、女性に国政選挙の投票権が認められた。
- 背景
- 禁酒運動と結びついた署名活動が広範に行われた。
- 帰結
- 国政レベルで女性の投票権を認めた最初の事例とされ、各国の運動に引用された。
- 場所
- ニュージーランド
1894年東アジア戦争・紛争甲午農民戦争
全羅道で始まった農民の蜂起。鎮圧をめぐって清が出兵し、日本も天津条約にもとづき出兵した。
- 場所
- 全羅道
1894年〜1895年東アジア戦争・紛争日清戦争
下関条約で台湾の割譲と朝鮮の独立が定められた。
- 背景
- 朝鮮での勢力をめぐり日本と清が対立した。
- 帰結
- 清の敗北で東アジアの秩序が転換し、列強による中国分割が進んだ。
- 場所
- 朝鮮半島
1894年ヨーロッパ政治・国家露仏同盟
三国同盟に対抗する枠組みが生まれた。
- 場所
- サンクトペテルブルク
1894年〜1911年日本政治・国家条約改正
1894年に領事裁判権が撤廃され、1911年に関税自主権が回復した。
- 背景
- 幕末の通商条約が対等でなく、その改正が明治政府の課題であり続けた。
- 帰結
- 法典の整備と国際的な地位の変化が、交渉の前提となった。
- 場所
- 日本全国
1895年ヨーロッパ科学・技術X線の発見
医療と物理学に応用された。
1895年日本政治・国家三国干渉
ロシア・フランス・ドイツの勧告により、遼東半島が清に返還された。
- 場所
- 遼東半島(中国)
1896年ヨーロッパ文化・芸術第1回近代オリンピック
アテネで開催された。
- 背景
- 古代の競技祭を復興する構想が提唱された。
- 帰結
- 以後4年ごとに開催され、国際的なスポーツ大会の枠組みが確立した。
- 場所
- アテネ
1896年アフリカ戦争・紛争アドワの戦い
エチオピアがイタリア軍を破り、独立を維持した。
- 背景
- イタリアが保護国化を主張し、エチオピアがこれを拒んだ。
- 帰結
- アフリカ分割のなかで独立を維持した数少ない例となった。
- 場所
- アドワ(エチオピア)
1898年東アジア政治・国家戊戌の変法
立憲制の導入を図ったが約100日で挫折した。
- 場所
- 北京
1898年南アジア・東南アジア政治・国家フィリピンのアメリカ統治の開始
独立を宣言していた勢力との戦争を経て、統治が確立した。
- 背景
- スペインからの独立を宣言した勢力が既に存在した。
- 帰結
- 3年に及ぶ戦闘の後に統治が確立し、1946年に独立した。
- 場所
- マニラ
1898年南北アメリカ戦争・紛争米西戦争
アメリカがキューバの保護権とフィリピン・グアム・プエルトリコを得た。
- 背景
- キューバの独立運動への介入として始まった。
- 帰結
- アメリカがカリブ海と太平洋に領土を得て、海外進出が本格化した。
- 場所
- キューバ
1898年オセアニア政治・国家ハワイのアメリカ合衆国への併合
在住のアメリカ人らが合衆国海兵隊の上陸を背景に1893年に王政を倒し、1898年に合衆国が併合した。
- 場所
- ホノルル
1899年〜1902年アフリカ戦争・紛争南アフリカ戦争
イギリスがトランスヴァール・オレンジ両国を併合した。
- 背景
- 金とダイヤモンドの鉱区をめぐる対立があった。
- 帰結
- イギリスが両国を併合した。イギリス軍が設けた収容所ではボーア人約2万8千人(多くは子ども)とアフリカ人約2万人が死亡したと推計され、国際的な批判を受けた。
- 場所
- 南アフリカ
1899年オセアニア政治・国家サモアの分割
ドイツとアメリカ合衆国が諸島を分けて統治することが取り決められた。
- 場所
- サモア諸島
1899年日本人類・社会北海道旧土人保護法
政府がアイヌに農地を与えて農業へ転換させ、日本語による教育を行うことを定めた法。狩猟・漁労や言語・慣習の制限をともなった。
- 帰結
- 1997年のアイヌ文化振興法の制定にともない廃止された。
- 場所
- 北海道
世界人口の推計(百万人)
1950年以前は研究者によって推計に幅があります。下限のみが示されている年もあります。
| 年 | 推計(百万人) |
|---|---|
| 1500年 | 425〜540 |
| 1600年 | 545〜579 |
| 1650年 | 470〜545 |
| 1700年 | 600〜679 |
| 1750年 | 629〜961 |
| 1800年 | 813〜1,125 |
| 1850年 | 1,128〜1,402 |