奴隷制はどこで始まり、どう終わったか
年表の検索窓に「奴隷」と入れてみてください。古代ギリシアから20世紀まで、地域の行をまたいで項目が並びます。奴隷制は一つの時代、一つの地域だけの制度ではありません。形を変えながら、長く、広く存在しました。年表の上で、その始まりと終わり方をたどります。
借金が人を奴隷にしていた
前594年、ヨーロッパの行にソロンの改革。借金を返せずに身分を失う人が出ていたため、債務を帳消しにし、借金を理由に身分を奪うことを禁じた改革です。裏を返せば、それ以前は借金が人を奴隷にしていたということになります。前73年、同じ行にスパルタクスの蜂起。ローマの大規模な奴隷使用を背景とする出来事です。古代の奴隷制は、戦争の捕虜と債務から人を得る仕組みでした。
同じ言葉が指すものは一つではない
1250年、アフリカの行にマムルーク朝。奴隷の身分から軍人になった層が政権を握った例です。年表を見ていくと、奴隷であることが必ずしも最下層を意味しない地域と時代があったことが分かります。奴隷制という一語が指す内容は、時代と地域でかなり違います。年表では、各項目の補足に、誰が、どういう身分で、どんな仕事に就いたのかをできるだけ具体的に書いています。
三つの大陸にまたがる仕組み
1502年、南北アメリカの行にエンコミエンダ制の導入。1550年ごろにブラジルの砂糖プランテーション。1600年ごろ、世界規模の行に大西洋奴隷貿易の拡大期。この3件を縦横に並べて見てください。アメリカ大陸の労働力の需要、アフリカからの人の移送、ヨーロッパの資本と船。三つの大陸をまたぐ仕組みになっています。アフリカの行には、1390年のコンゴ王国、1600年ごろのダホメ王国、1652年のケープ植民地の建設が並びます。運ばれた人の数についても、研究者の推定に幅があり、年表では数字を書いていません。
廃止が並ぶ世紀
年表を1800年代に合わせてください。1791年、南北アメリカの行にハイチ革命。奴隷とされた人々の蜂起から独立に至った例で、1804年のハイチの独立が続きます。1833年、ヨーロッパの行にイギリスの奴隷制廃止法。1861年にロシアの農奴解放令、同じ年にアメリカ南北戦争、1863年に奴隷解放宣言。1888年にブラジルの奴隷制廃止。19世紀の区間に、廃止の項目が集中して並ぶのが見てとれます。
名前を変えて続いたもの
ただし、廃止のあとも、形を変えた強制的な労働が年表に現れます。1862年、オセアニアの行にラパヌイからの住民の連行。1863年から、メラネシアからの労働者の徴募と連行。1800年ごろのアフリカの行には、東アフリカ内陸への隊商交易の拡大があります。1904年のドイツ領南西アフリカにおけるヘレロとナマの殺害も、植民地での強制と結びついた項目です。「廃止」という語が、実態の終わりと一致しないことがある、ということです。
抵抗は記録に残りにくい
年表には、抵抗の項目もいくつか入っています。前73年のスパルタクスの蜂起、1791年のハイチ革命、1905年のマジ・マジの蜂起。ただし、こうして名前の残った出来事は例外的です。日々の逃亡や拒否は、記録する側に書き残す理由がないため、ほとんど残りません。年表に抵抗の項目が少ないことは、抵抗が少なかったことを意味しません。この年表は、残った記録からしか作れない、という制約を常に抱えています。
年表を読むときに
この年表は、評価にあたる記述を加えない方針で作っています。奴隷制のような主題では、その方針が物足りなく感じられるかもしれません。ただ、起きたことと年代を正確に並べることは、評価の前提になります。各項目の補足には、誰が、どこから、どこへ、どういう制度のもとで、という点をできるだけ具体的に書きました。年表を見て何を考えるかは、読む人のものです。
この読み物で取り上げた出来事(22件)
年表に収録している項目です。出来事名を押すと、年表のその位置が開きます。補足・背景・帰結・出典は時代別のページに載せています。
| 年代 | 地域 | 出来事 |
|---|---|---|
| 前594年 | ヨーロッパ | ソロンの改革 アテネで債務奴隷が禁止され、財産に応じた政治参加が定められた。 |
| 前73年〜前71年 | ヨーロッパ | スパルタクスの蜂起 剣闘士と奴隷による大規模な反乱。 |
| 1250年〜1517年 | アフリカ | マムルーク朝 軍人奴隷出身の集団がエジプト・シリアを統治した。 |
| 1390年〜1665年 | アフリカ | コンゴ王国 中部アフリカ西岸。15世紀末にポルトガルと接触し、王がキリスト教を受け入れた。 |
| 1502年 | 南北アメリカ | エンコミエンダ制の導入 スペイン王権が入植者に、先住民の労働と貢納を徴収する権限を与えた。 |
| 1542年 | 南北アメリカ | インディアス新法 スペイン王権が、先住民の使役とエンコミエンダの世襲を制限する法を定めた。入植者の反乱を受け、王権は1545年に一部を撤回した。 |
| 1550年〜1700年 | 南北アメリカ | ブラジルの砂糖プランテーション 北東部でポルトガル人入植者が製糖業を拡大し、アフリカから連行した人びとを奴隷として使役した。 |
| 1600年〜1800年 | 世界規模 | 大西洋奴隷貿易の拡大期 この期間に最も多くの人々がアフリカから南北アメリカへ強制的に移送された。 |
| 1600年〜1894年 | アフリカ | ダホメ王国 西アフリカ。常備の軍を備え、ウィダーなどの港でヨーロッパ商人との奴隷貿易に関わった。 |
| 1652年 | アフリカ | ケープ植民地の建設 オランダ東インド会社が、コイコイの人びとが放牧を営む地に補給地として設けた。入植地の拡大にともない放牧地が収用され、会社はアジアや東アフリカから連れてきた奴隷を労働に用いた。 |
| 1791年〜1804年 | 南北アメリカ | ハイチ革命 サン=ドマングで奴隷とされた人びとが蜂起し、フランス軍・イギリス軍との戦闘が続いた。 |
| 1800年〜1890年 | アフリカ | 東アフリカ内陸への隊商交易の拡大 ザンジバルを拠点とする商人やニャムウェジの隊商が内陸へ路を延ばし、象牙とともに多数の人びとを奴隷として沿岸へ連行した。 |
| 1804年 | 南北アメリカ | ハイチの独立 サン=ドマングがハイチとして独立を宣言した。 |
| 1833年 | ヨーロッパ | イギリスの奴隷制廃止法 帝国内の奴隷制が段階的に廃止された。 |
| 1861年 | ヨーロッパ | ロシアの農奴解放令 身分的解放は認められたが、土地の買い戻し負担が残された。 |
| 1861年〜1865年 | 南北アメリカ | アメリカ南北戦争 奴隷制の存廃をめぐって合衆国が分裂し、4年に及ぶ内戦となった。 |
| 1862年〜1863年 | オセアニア | ラパヌイからの住民の連行 ペルーの船が1862年から翌年にかけてイースター島などから1,400人以上を連れ去った。送還船が天然痘を島に持ち込み、その後の流行で人口はさらに大きく減少した(推計には幅がある)。 |
| 1863年 | 南北アメリカ | 奴隷解放宣言 南部の反乱地域の奴隷の解放が宣言された。 |
| 1863年〜1904年 | オセアニア | メラネシアからの労働者の徴募と連行 オーストラリアやフィジーの農園主と仲介業者が、メラネシアの島々から労働者を集めた。誘拐や強制を伴う事例が記録されている。 |
| 1888年 | 南北アメリカ | ブラジルの奴隷制廃止 南北アメリカで最後に奴隷制を廃止した国となった。 |
| 1904年〜1908年 | アフリカ | ドイツ領南西アフリカにおけるヘレロとナマの殺害 ドイツ軍が蜂起を鎮圧する過程で住民を砂漠へ追い込み、収容所に収容した。ヘレロは人口の大半を失ったとされ、犠牲者数の推計には幅がある。 |
| 1905年〜1907年 | アフリカ | マジ・マジの蜂起 ドイツ領東アフリカで、綿花の強制栽培などに対する広域の蜂起が起きた。ドイツ軍は村落と作物を焼く戦術で鎮圧し、これにともなう飢饉を含め7万5千〜30万人が死亡したと推計される(推計には大きな幅がある)。 |